日本版 6トン戦車 の開発とは? わかりやすく解説

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日本版 6トン戦車 の開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 19:52 UTC 版)

九五式軽戦車」の記事における「日本版 6トン戦車 の開発」の解説

本車日本において初めて、設計および試作段階から、民間企業三菱重工業1934年昭和9年)から。開発開始時は三菱航空機))によって開発され戦車である。九五式軽戦車開発そもそもの契機は、関東軍による機械化実験部隊(後の独立混成第1旅団)の編成計画とされる開発開始前年1930年昭和5年)に研究用ヴィッカース 6トン戦車E型 Type A(双砲塔型)1輌を輸入し1931年昭和6年9月千葉の陸軍歩兵学校関東軍要望を基に「歩兵戦闘用軽戦車」の研究要望案を提出1931年昭和6年)から研究始まった1932年昭和7年)に陸軍技術本部軽戦車開発要望具体的な概要提示されたが、満州事変一環として熱河作戦1933年昭和8年2月23日5月31日が行われたことを受け、「機動戦車」の開発要請出された。同年6月設計開始9月までに設計完了試作車1輌の製造発注され、翌1934年昭和9年6月最初試作車試作1号車第一次試作車)が完成した。この試作1号車には車体側面バルジ車長展望塔砲塔後部機関銃付いておらず、砲塔上面に横開き式のハッチ設けられ誘導輪(アイドラーホイール)に歯(スプロケット)が付いていた。試作1号車千葉県富津射場などでの射撃試験碓氷峠など関東平野各地走行距離710kmの運行試験が行われた。最大速度は43km/hを発揮したが、重量が7.5tを超過したため軽量化されることになった1934年昭和9年10月重量を1t減らした改修型試作車製造され、翌1935年昭和10年11月に、車体側面バルジと、前後に開くハッチ持った車長展望塔追加された、第二次試作車が3輌完成したこの間騎兵・戦車部隊での各種試験が行われた。12月16日に「試製6t戦車」は「九五式軽戦車」として仮制式化(仮制定)された。翌1936年昭和11年11月量産車同じく砲塔後部機関銃追加され増加試作車完成し満州寒冷地試験が行われた後、制式採用された。生産1936年昭和11年)から始まり1943年昭和18年9月生産終了までに、生産数三菱重工業自社工場大井丸子)で約半数弱、その他、相模陸軍造兵廠日立製作所新潟鐵工所神戸製鋼所小倉陸軍造兵廠などで残りの約半数強。

※この「日本版 6トン戦車 の開発」の解説は、「九五式軽戦車」の解説の一部です。
「日本版 6トン戦車 の開発」を含む「九五式軽戦車」の記事については、「九五式軽戦車」の概要を参照ください。

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