日本版 6トン戦車 の開発
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「九五式軽戦車」の記事における「日本版 6トン戦車 の開発」の解説
本車は日本において初めて、設計および試作段階から、民間企業(三菱重工業(1934年(昭和9年)から。開発開始時は三菱航空機))によって開発された戦車である。九五式軽戦車の開発のそもそもの契機は、関東軍による機械化実験部隊(後の独立混成第1旅団)の編成計画とされる。開発開始前年の1930年(昭和5年)に研究用にヴィッカース 6トン戦車E型 Type A(双砲塔型)1輌を輸入し、1931年(昭和6年)9月に千葉の陸軍歩兵学校が関東軍の要望を基に「歩兵戦闘用軽戦車」の研究要望案を提出、1931年(昭和6年)から研究が始まった。 1932年(昭和7年)に陸軍技術本部に軽戦車開発の要望の具体的な概要が提示されたが、満州事変の一環として熱河作戦(1933年(昭和8年)2月23日~5月31日)が行われたことを受け、「機動戦車」の開発要請が出された。同年6月に設計開始、9月までに設計完了、試作車1輌の製造が発注され、翌1934年(昭和9年)6月に最初の試作車(試作1号車、第一次試作車)が完成した。この試作1号車には車体側面のバルジと車長展望塔と砲塔後部機関銃が付いておらず、砲塔上面に横開き式のハッチが設けられ、誘導輪(アイドラーホイール)に歯(スプロケット)が付いていた。試作1号車は千葉県の富津射場などでの射撃試験、碓氷峠など関東平野各地で走行距離710kmの運行試験が行われた。最大速度は43km/hを発揮したが、重量が7.5tを超過したため軽量化されることになった。 1934年(昭和9年)10月に重量を1t減らした改修型試作車が製造され、翌1935年(昭和10年)11月に、車体側面のバルジと、前後に開くハッチを持った車長展望塔が追加された、第二次試作車が3輌完成した。この間、騎兵・戦車部隊での各種試験が行われた。12月16日に「試製6t戦車」は「九五式軽戦車」として仮制式化(仮制定)された。翌1936年(昭和11年)11月に量産車と同じく砲塔後部に機関銃が追加された増加試作車が完成し、満州で寒冷地試験が行われた後、制式採用された。生産は1936年(昭和11年)から始まり、1943年(昭和18年)9月の生産終了までに、生産数は三菱重工業の自社工場(大井、丸子)で約半数弱、その他、相模陸軍造兵廠、日立製作所、新潟鐵工所、神戸製鋼所、小倉陸軍造兵廠などで残りの約半数強。
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