日本大使の反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:24 UTC 版)
ハル・ノートを受け取った野村・来栖両大使は難色を示してハル国務長官と応酬したが、ハルは「何れも立ち入つては何等説明も主張もしない。全体の態度が殆ど問答無用といった風で、俗にいう取り付く島のない有様であった」という。 来栖は、多辺的不可侵条約の締結(第二項1)について「(日本に)ワシントン会議以来の苦い経験があるにも拘らず、又々九カ国条約と同じような機構を復活せよというのは、過去四年間の日華事変を全然無視せよということになる」と反対したが、ハルは何等力強い反駁を加えることをしなかった。 第二項3の全面撤兵及び第二項4の重慶政府以外不支持については「出来ない相談で、米国が蔣政権を見殺しに出来ないと同様、日本は南京政府を見殺しにする訳にはゆかぬ」と言うと、ハルは「南京政府は到底中国を統治する能力なし」と応酬し、撤兵については「即時撤兵を主張するものではない」と述べた。 日本側が「三国条約の問題に至りては米国は日本をして出来得るだけの譲歩を為さしめんことを希望せられつつある一方、支那問題に対しては殆ど当方をして重慶に謝罪せよと称せらるるに等く」、先日ルーズベルト大統領が日中和平の『紹介』をしたいと述べたのはまさかこのような趣旨だとは思わなかったと抗議すると、ハルは黙して答えなかったという。 なお、暫定協定について来栖が問い質すと、ハルはその問題の可能性は探求済みである、探求には最善を尽くしたとだけ答えた。 会談の最後に、来栖はこのノートをこのまま政府に伝達するのは深い疑念があるとまでいい、野村は米国としてはこの案の外考慮の余地なしかとして、ハルに大統領との会談を要請した。
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