日本国外の無教会主義
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内村鑑三の集会に参加していた者の中に当時学生だった金教臣(キムギョシン)などの朝鮮出身の者もいた。彼らは帰郷後、無教会の集会を立ち上げ、また『聖書朝鮮』という伝道雑誌を発刊した。韓国独立後は『霊断』(宋斗用)、『聖書研究』(盧平久)が創刊されるなど、その後も無教会は日本と切り離し少数派として存続した。なお、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)については、公式には無教会の後継者は残っていないとされる。 また台湾にも、断続的にではあるが、日本から無教会の信徒が伝道を行っている。 そして内村が発行していた雑誌『聖書之研究』の購読者はアメリカ合衆国にも存在していた。特に、内村の協力者であった井口喜源治が長野県穂高町(現安曇野市)に設立したキリスト教に基づく私塾「研成義塾」の出身者が多く渡米し、シアトル近郊に定住して集会「シアトル穂高倶楽部」を持っていたことはよく知られている。 イギリスで発生した平信徒運動でブレズレンとよばれるキリスト教のグループや、ヨーロッパで起こったメノナイトなどの再洗礼派(アナバプテスト)運動などが、その礼拝や理念、信条など無教会主義に近いとの指摘がある。また、同じくイギリスで起こったクエーカーと無教会主義のキリスト教徒との類似点を指摘する研究者は多い。内村自身、米国留学以来クエーカーとの交際があり、札幌農学校同期の新渡戸稲造をはじめ日本のクエーカーとも親交が深く、内村の弟子の中には後にクエーカーに入信した者も少なくない。内村と新渡戸がフィラデルフィアのクエーカー婦人海外伝道会に、女子教育機関として三田の普連土女学校設立の提言をしたことは有名である。内村自身も著作の中で、キルケゴールが「無教会主義のキリスト教を世界に唱え」たと述べているように、内村本人も無教会主義を提唱するにあたって日本国外の哲学や神学思想との類似点を認識していたことは確かである。
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