日本の近代地方自治史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 04:58 UTC 版)
明治政府は、欧米列強に追い付く為に、天皇を中心とする強力な中央集権国家体制を築いた。内乱の続いていた地方の統治も明治政府の課題であり、内務省を中心にして強力に地方を統治した。 明治憲法には地方自治に関する規定はない 県令(知事の事)は天皇の任命による国の官吏 市長は議会で選任され、天皇の承認を経て任命 町村長も議会で選出されたあと知事の認可を必要 また、県令の圧政に対する不満から自由民権運動の激化により、福島事件、秩父事件、加波山事件、高田事件などが起き、弾圧が行われた 内務省は、讒謗律、新聞紙条例、出版法、新聞紙法、映画法、治安維持法などに基づき、内部部局である警保局図書課において、ガリ版刷りの同人誌や学校の同窓会誌、村の青年会誌にいたるまで検閲(日本における検閲参照)して、反社会的活動や共産主義、反君主制思想などを取り締まった。また著作権登録の業務も所管した 大正、昭和初期の時代では、軍国主義の台頭により、地方はまさに国家の一部として振舞う事が要請され、特に共産主義に対して特別高等警察による言論弾圧などが行われた 第二次世界大戦の敗戦後、日本国憲法は、初めて地方自治に関する規定を設け、日本の地方自治は民主化の時代に入る。但し、国と地方の関係は対等な関係ではなく、「上下・主従」関係にあるとされたままであった。 2000年4月から施行された地方分権一括法により、機関委任事務が廃止され、新たに法定受託事務と自治事務に変更されたが、現在も、地方交付税交付金や箇所付け、許認可などを握っている国(総務省・国土交通省・農林水産省など)が、地方に対して優位な立場にある。
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