日本の要人によるロシア訪問・ソ連訪問
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 04:55 UTC 版)
「日露関係」の記事における「日本の要人によるロシア訪問・ソ連訪問」の解説
訪露・訪ソ時期 日本の要人 ロシア・ソビエト側の会談相手備考1956年10月 鳩山一郎首相 ニキータ・フルシチョフ書記長 日本の首相による初のソ連訪問。両首脳の合意により日ソ共同宣言が署名される 1973年10月 田中角栄首相 レオニード・ブレジネフ書記長 両首脳の合意により日ソ共同声明が署名される 1982年11月 鈴木善幸首相 ブレジネフ書記長の葬儀に出席 1985年2月 中曽根康弘首相 チェルネンコ書記長の葬儀に出席 1988年7月 中曽根康弘元首相 ミハイル・ゴルバチョフ書記長 竹下政権期に中曽根がソ連を訪問。約2年半後に実現したゴルバチョフ訪日の地ならしとなった 1996年4月 橋本龍太郎首相 ボリス・エリツィン大統領 モスクワで原子力安全サミットが開催され、日露首脳会談も行われた 1997年11月 橋本龍太郎首相 ボリス・エリツィン大統領 日露平和条約締結に向けて日露両国が全力を尽くすことを確認(クラスノヤルスク会談) 1998年11月 小渕恵三首相 ボリス・エリツィン大統領 両首脳の合意によりモスクワ宣言が発出される 2000年4月 森喜朗首相 ウラジーミル・プーチン大統領代行 プーチンの主な支持基盤であるサンクトペテルブルクで会談 2001年7月 森喜朗首相 ウラジーミル・プーチン大統領 両首脳の合意によりイルクーツク声明が発出される 2003年1月 小泉純一郎首相 ウラジーミル・プーチン大統領 両首脳の合意により日露行動計画などを策定 2003年5月~6月 小泉純一郎首相 ウラジーミル・プーチン大統領 サンクトペテルブルク建都300周年(ロシア語版)記念行事が開催され、日露首脳会談も行われた 2003年6月 森喜朗元首相 ウラジーミル・プーチン大統領 小泉政権期に森が訪露 2005年5月 小泉純一郎首相 ウラジーミル・プーチン大統領 第二次世界大戦終了60周年記念式典が開催され、日露首脳会談も行われた 2008年4月 福田康夫首相 ウラジーミル・プーチン大統領ドミートリー・メドヴェージェフ次期大統領 2013年4月 安倍晋三首相 ウラジーミル・プーチン大統領 2014年2月 安倍晋三首相 ウラジーミル・プーチン大統領 ソチ冬季五輪が開催され、G7首脳からは唯一安倍が開会式に出席し、日露首脳会談も行われた 2016年5月 安倍晋三首相 ウラジーミル・プーチン大統領 2018年5月 安倍晋三首相 ウラジーミル・プーチン大統領 イギリスを筆頭とする親米諸国がセルゲイ・スクリパリ暗殺未遂事件をロシアの仕業であると見なして一斉にロシア外交官を追放する中、対露関係を重視した安倍が当初の予定通り訪露し、日露首脳会談も行われた
※この「日本の要人によるロシア訪問・ソ連訪問」の解説は、「日露関係」の解説の一部です。
「日本の要人によるロシア訪問・ソ連訪問」を含む「日露関係」の記事については、「日露関係」の概要を参照ください。
- 日本の要人によるロシア訪問・ソ連訪問のページへのリンク