日本の製紙の黎明期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 12:20 UTC 版)
明治になって日本では洋紙製造の機運がたかまり、1872年(明治5年)旧広島藩主浅野家が東京日本橋蛎殻町に製紙会社有恒社を企画したのを皮切りに東京王子の抄紙会社、大阪の蓬莱社、京都のパピール・ファブリック、神戸の神戸製紙所などが開業の準備を始めていた。これら日本で最初の製紙会社は明治7年開業した有恒社に続き続々と開業していくのである。当時の洋紙製造では原料は襤褸(ボロ・木綿の古布)が良いとされ、製紙会社各社はいずれも襤褸を入手しやすい大都市に工場を設けたのである。(木材パルプが紙の原料になるのは明治20年以降である)。同時期、アメリカ人貿易商ウイリアム・ドイルは日本でも製紙業が興るだろうと見越してアメリカ製54インチ丸網抄紙機を輸入していた。
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