日本における吹奏楽の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 07:18 UTC 版)
詳細は「吹奏楽の歴史#日本吹奏楽史」を参照 日本における吹奏楽の歴史は、1869年に薩摩藩が藩士の選抜を経たイギリス人ジョン・ウィリアム・フェントンの指導により薩摩バンド(薩摩藩軍楽隊)を結成した時に始まる。軍隊の西洋化を目指す薩摩藩主島津久光がイギリスの軍楽隊に倣った。そのメンバーが廃藩置県を経て陸軍・海軍に創設された軍楽隊の中核となった。なお、軍楽隊の響きが初めて鳴り響いたのは1853年にマシュー・ペリーが浦賀に来た際と言われる。 当時、演奏会は軍楽隊が行っており、それによって多くの曲を紹介してきた。大正時代には学校音楽にも吹奏楽が取り入れられ、そのほか百貨店・遊園地などに少年音楽隊が生まれ、また民間吹奏楽団が組織されて一般市民に広まった。 1939年には、大日本吹奏樂聯盟(現在の一般社団法人全日本吹奏楽連盟)が発足した。1935年には、全日本吹奏楽コンクールが毎年開かれ、演奏会も多く行われるようになった。第二次世界大戦が始まる頃から、吹奏楽は戦意高揚や国威発揚のために利用されるようになり、盛んになった。 第二次世界大戦後、演奏する機会を失っていたものの、青少年教育にとって音楽の持つ意義が見直されたことから、再び学校で採用され、新しい学校音楽教育が唱歌教育から器楽教育に移ったこともあって、数も増え、演奏技術も向上した。1961年11月には、フランスのギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団が初来日し、演奏会を開催して当時の聴衆に大きな影響を与えた。1967年には、公益社団法人日本吹奏楽指導者協会が設立された。
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