新派と旧劇とは? わかりやすく解説

新派と旧劇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 14:11 UTC 版)

阿部正三郎」の記事における「新派と旧劇」の解説

1912年明治45年1月15日東京府東京市浅草区阿部川町(現在の東京都台東区元浅草3-4丁目)に生まれる。生年月日については、『一九三三年版 オール松竹俳優名鑑』には同年2月15日」とされている。父・阿部三之助は、芝居関係の仕事をしていた人物であるとされる数え年9歳になった1920年大正9年)、父の仕事きっかけに、新派河合武雄一座入門し九州巡業初舞台に立つ。巡業終えて東京に戻ると、次に伊井蓉峰一座参加本郷区春木町現在の文京区本郷3丁目)の本郷座京橋区木挽町現在の中央区銀座4丁目12番15号)の歌舞伎座日本橋区久松町現在の中央区日本橋浜町2丁目311号)の明治座での新派劇出演し。『一九三三年版 オール松竹俳優名鑑』では、この時点旧劇歌舞伎)の四代目澤村源之助一座参加名古屋御園座出演してたとする。 満11歳となった1923年大正12年8月には、浅草公園六区公園劇場現存せず)で上演された『己が罪』で伏見信子共演している。同年9月1日起きた関東大震災以降は、新劇流れをくむ新派から一転して旧劇転向尾上菊右衛門一座入門した。このとき「片岡 市女男」と改名新潟佐渡への巡業参加した。『一九三三年版 オール松竹俳優名鑑によれば、『己が罪』での伏見信子との共演河合武雄一座よるものとし、公演時期震災復興後の時期としており、その時点で「片岡市女男」を名乗ってたとする

※この「新派と旧劇」の解説は、「阿部正三郎」の解説の一部です。
「新派と旧劇」を含む「阿部正三郎」の記事については、「阿部正三郎」の概要を参照ください。

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