新活動とラルフ・ヒュッター体制へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 06:31 UTC 版)
「クラフトワーク」の記事における「新活動とラルフ・ヒュッター体制へ」の解説
電気音楽・打ち込み音楽の祖であり頂点、という評価がゆるぎないものとなったクラフトワークはライヴ・パフォーマンスでの2人の穴埋めを最終的にKLING KLANGで以前から働いていたエンジニアであったフリッツ・ヒルパートとヘニング・シュミッツとし、その後も1992年にセラフィールド核燃料再処理工場に反対する野外イベントに出演。1998年のワールド・ツアー(二度目の来日公演も果たす)等の活動の他、世界中のいくつもの音楽フェスティバルでヘッドライナーを現在まで務め続けることになった。 90年代、THE MIXのような過去の曲の新アレンジやクラブミュージックに影響を受けた新たな曲を演奏してはいたものの完全な新作アルバムとしては結実してはいなかった。しかし2000年代に入りシングルExpo 2000がドイツハノーファー万博のテーマ曲として、2003年には完全なオリジナルアルバムとしては17年ぶりとなる11作目のアルバム『ツール・ド・フランス』がツール・ド・フランス100年記念として発表された(同名シングルのリテイクも収録された)。。これに伴い再び大きく注目された新生クラフトワーク(下記演奏・舞台形態の変化も参照)としてのワールド・ツアーも行われ、その様子が日本での演奏も含めた初の公式ライヴ盤『ミニマム・マキシマム』に収録される。 ライヴ活動を続ける中、2009年に突然 ラルフを除く最後のオリジナルメンバーであるフローリアンの脱退が報じられた。ラルフは今後の彼にエールを送るが40年来に渡る長年のコンビが解消されたことに多くのファンが衝撃を受ける。 フローリアン脱退後の初めてのライヴがマンチェスターで行われた際、ツール・ド・フランスの演奏に伴いGreat Britain (GB) Cycling Team(オリンピックやツール・ド・フランスに出場経験のある自転車レーサー達からなる団体)のメンバーが設置されたステージの周囲にあるコースを周回し続けるという特殊なイベントが催された。あたかもフローリアン無きラルフを励ますかのようにレーサー達が走り観客が熱狂する中、ツール・ド・フランス-エタップ2の自転車レースの熱狂を伝える記号的に構成された歌詞をラルフが口ずさむ際、デビュー以来ほぼ一貫して公の場で感情を表さなかったラルフが涙を堪えるように声を詰まらせ、隣にいたヘニングが頷いた様子が伝えられた。フローリアンの代わりには主にスクリーン映像を担当するシュテファン・プファフェがステージに立つことになった。 現在は3Dをテーマにしたツアーを行っており、各地を回りながら活動している(後述も参考)。2017年にはアウトバーン以降のアルバムを新しくリメイクした「3-D The Catalogue(英語版)」を発表した。
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