新日本プロレス、UWF、藤原組とは? わかりやすく解説

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新日本プロレス、UWF、藤原組

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 15:03 UTC 版)

鈴木みのる」の記事における「新日本プロレス、UWF、藤原組」の解説

横浜高等学校時代レスリング部所属国体2位 という実績残して1987年3月新日本プロレスに入門1988年6月23日飯塚孝之戦でデビュー同年10月22日飯塚戦で初勝利前座戦線佐々木健介幾度となく対戦し勝負繰り広げる1989年3月アントニオ猪木対戦同月新日本プロレス退団し4月3日UWF契約1989年5月田村潔司デビュー戦相手務めUWFでの初白星1989年11月29日骨折した船木誠勝代役東京ドーム大会U-COSMOS」で、モーリス・スミス異種格闘技戦対戦したが、4ラウンドKO負け。後に鈴木は「スミス強さビビって大観衆の前で泣いて自らリング寝転がった」と語っている。 1991年3月UWF退団して、船木らとプロフェッショナルレスリング藤原組参加1991年4月1日SWS提携して行われた神戸ワールド記念ホール大会におけるアポロ菅原戦は、試合開始直後から互いに退け合うように鈴木張り手菅原前蹴り放ちまともに組み合おうとせず、その挙げ句菅原側がセメント行為仕掛け、その行為に対して鈴木コーナー追い詰め頭突き見舞い菅原グーパンチ応戦まともに試合成立しないほど泥沼様相に。レフェリーが間に入り双方反則に(頭突きグーパンチ注意入れた所でそのジャッジ呆れた菅原リング降りて試合放棄した。 1992年10月東京ドーム大会でソウルオリンピックレスリング金メダリスト:ゴベリシビリ・ダビッドと対戦裸絞め勝利藤原組カール・ゴッチ顧問として据えており、ゴッチ直接指導することもあったため、ゴッチ傾倒したのもこの時期である。アメリカ人選手ゴッチレクチャー受けた際、「痛い、これじゃ鈴木じゃないか」とクレームをつけると、「私が鈴木であり、鈴木が私なのだ!」と返答したこともあるなど、ゴッチもまた鈴木大きな期待寄せた

※この「新日本プロレス、UWF、藤原組」の解説は、「鈴木みのる」の解説の一部です。
「新日本プロレス、UWF、藤原組」を含む「鈴木みのる」の記事については、「鈴木みのる」の概要を参照ください。

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