新大井発電所建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 01:51 UTC 版)
木曽川水系上流部の王滝川では、1943年(昭和18年)に三浦ダム、1961年(昭和36年)には牧尾ダムが完成して2つの貯水池が出現した。その結果、木曽川の河川流量を年間を通じて調整できるようになり、下流部における流況が改善された。従って大井ダム地点においても、流況は建設当初に比べ大きく変化した。具体的な値で見ると、大井発電所の最大使用水量(139.13立方メートル毎秒)は、昭和40年代の10か年平均流況では豊水量を下回る110日流量(年間を通して110日はこれを下回らない流量)にほぼ相当しており、まだ発電する余地があったのである。 関西電力では、1971年(昭和46年)の新丸山発電所建設以降木曽川開発を中断していたが、オイルショックを機に新規水力開発の経済性が相対的に向上し、また純国産エネルギーとして水力発電を見直す機運が高まったことから、1970年代後半より木曽川開発を再開した。木曽川本川では、大井ダム上流に位置する既設落合ダムにて新落合発電所が1980年(昭和55年)に運転を開始。次いで大井ダムの余力を利用する新大井発電所の計画が立てられ、1981年(昭和56年)3月2日新大井発電所建設所の発足とともに工事が開始された。 着工から2年後の1983年(昭和58年)4月27日より、新大井発電所は出力3万2,000キロワットにて運転を開始した。新発電所建設の結果、大井ダムにおける河水利用率は72パーセントから84パーセントへと上昇している。
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