新十両〜大関候補〜左ひざの大ケガとは? わかりやすく解説

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新十両〜大関候補〜左ひざの大ケガ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 06:29 UTC 版)

琴風豪規」の記事における「新十両〜大関候補〜左ひざの大ケガ」の解説

1975年11月場所新十両1977年1月場所新入幕同年11月場所2回目挑戦北の湖から金星挙げるなど10勝5敗を挙げ初の三賞となる殊勲賞を獲得。この場所の北の湖戦は、左四つになって右前まわしをつかみ体をあおるように寄り立てると、北の湖土俵下へもんどりうった、という流れであった。これ以前は腰の重さ任せた相撲であったが、この1番をきっかけとして相撲速くなった。翌1978年1月場所新関脇一躍大関候補となり幕内上位常連となり活躍したが、1978年11月場所麒麟児戦で左膝内側側副靱帯断裂の大ケガ途中休場。翌1月場所金城(後の栃光)戦でそれを再発させて再び途中休場古傷再発ということ公傷適用されず、以後2場所連続全休幕下30目まで陥落。それでも腐らずケガ治す幕下2場所、十両1場所で通過し1980年1月場所幕内復帰その場所で12勝3敗の成績挙げ敢闘賞受賞。翌3月場所10勝5敗の成績挙げ2場所連続敢闘賞受賞5月場所では関脇復帰し10勝5敗の成績挙げ殊勲賞を受賞するなど再び大関候補のし上がる7月場所ではまたも栃光戦で左膝内側側副靱帯断裂・左膝半月板損傷・左腰部挫傷の大ケガ途中休場当時理事長春日野親方(元横綱栃錦)が「今度こそ駄目だろう」と言ったほどの重症であった。この怪我初め患部メスを入れということからも怪我重大さ分かる

※この「新十両〜大関候補〜左ひざの大ケガ」の解説は、「琴風豪規」の解説の一部です。
「新十両〜大関候補〜左ひざの大ケガ」を含む「琴風豪規」の記事については、「琴風豪規」の概要を参照ください。

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