新十両から引退までとは? わかりやすく解説

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新十両から引退まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 16:17 UTC 版)

若荒雄匡也」の記事における「新十両から引退まで」の解説

新十両迎えた2008年1月場所では7勝8敗と負け越し、1場所で幕下陥落したものの、翌3月場所では東幕下2枚目で5勝2敗と勝ち越し十両復帰した5月場所では8勝7敗と十両初めての勝ち越し決めたその後連相撲多く十両勝ち越すことができなかったが、2009年3月場所で11勝4敗の好成績挙げ、続く5月場所でも西十両2枚目の位置で9勝6敗と勝ち越し果たし、翌7月場所において新入幕果たした。しかし、その7月場所では4勝11敗と大敗し、翌9月場所では十両陥落した2010年5月場所において再入幕を果たすと、その5月場所において10勝5敗という好成績挙げて幕内では自身初となる勝ち越し果たした。しかし、同年5月場所中に発覚した大相撲野球賭博問題において野球賭博関与したとの理由で、特別調査委員会から翌7月場所での謹慎休場勧告され自己最高位となる東前頭8目で迎えた7月場所全休し、翌9月場所では再び十両陥落した2011年1月場所に3回目入幕果たし同年11月場所では西前頭9目の位置優勝次点となる12勝3敗の好成績挙げて自身初となる敢闘賞受賞した。翌2012年1月場所では新三役となる西小結へ一気昇進した。これにより阿武松部屋から初となる三役力士誕生した。だが、その1月場所では5勝10敗と大きく負け越した同年5月場所では10勝5敗という好成績挙げたものの、東前3枚目の位置まで番付戻した7月場所では横綱・大関陣には全く勝つことができずに3勝12敗という大敗終わった同年11月場所で4勝11敗と大敗し、翌2013年1月場所では十両陥落した2013年7月場所には東十両12目まで下がり、わずか1年上位総当たり地位から十両下位まで番付落とした事を心配さ幕下陥落危惧されていたが、8勝7敗と7場所ぶりに勝ち越した。2014年5月場所は西十両11目の番付土俵上がったものの、5勝10敗の大敗喫したことで33場所連続務めた関取地位から陥落。1場所で十両返り咲いたものの、再十両となった同年9月場所は西十両14目の番付13日目に負け越し決定して再び幕下陥落することが確実となり、この日のうちに30歳引退発表引退会見では「悔い一つもない。いろいろな方に支えられ素質上のものを出させていただいた」と涙ながらに感謝語り思い出取組として再十両確定させた同年7月場所の7番相撲挙げた引退に際して阿武松も「多彩な技反射神経もなく、簡単に三役になれる力士ではなかった。よく小結まで上がったと思う。肩と腰はボロボロだが、懸命に頑張ってくれた」とねぎらいの言葉送っていた。2015年1月31日国技館断髪式行い450人がハサミ入れたが、この人数は、雑誌相撲』によると水戸泉大乃国に次ぐ3番目の多さである。 明治神宮例祭奉祝 奉納70全日本力士選士大会 相手把瑠都関(2011年10月3日撮影

※この「新十両から引退まで」の解説は、「若荒雄匡也」の解説の一部です。
「新十両から引退まで」を含む「若荒雄匡也」の記事については、「若荒雄匡也」の概要を参照ください。

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