教会を体現する聖母マリアとは? わかりやすく解説

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教会を体現する聖母マリア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 04:55 UTC 版)

教会の聖母子」の記事における「教会を体現する聖母マリア」の解説

教会の聖母子』では、マリア三つ異な役割与えられている。それは「キリストの母」、「教会栄光」(en:Church militant and church triumphant)、そして「天界女王」である。「天界女王」の役割マリアがかぶる宝冠によって強調されている。『教会の聖母子』は装飾写本ミニアチュールとほぼ同じ大きさ小作品だが、建物内装比べてマリア身体が非常に大きく教会そびえたつかのように描かれている。マリアの頭は教会二階回廊とほぼ同じ高さにあり、その身長はおよそ5メートル達すると考えられるマリア巨大な女性像で描くのはビザンチン美術伝統的手法で、ビザンチン美術影響受けていたルネサンス黎明期イタリア人画家ジョットも、同様の手法1310年ごろに『荘厳の聖母』(en:Ognissanti Madonna) を描いている。マリア身体を非常に大きく描くことによって、マリア優れた人格教会での重要性表現しようとしたと考えられている。美術史家ティル=ホルガー・ボルヘルトはこの作品マリアについて「聖母教会にいるのではない、聖母こそが教会だという暗喩である」としている。巨大描かれマリア教会そのもの体現象徴しているという説を最初に唱えたのは、1941年エルヴィン・パノフスキーである。19世紀美術史家たちは『教会の聖母子』のマリア大きく描かれているのは、ヤン・ファン・エイク若年技量未熟だったキャリア初期作品であるためだと考えていた。 現在ではマリア巨大描いたのは意図的なのだったと見なされており、写実的に描かれた『宰相ロランの聖母』や『アルノルフィーニ夫妻像』などとは対照的な構成を持つ作品となっている。ただし、写実的に描かれている両作品ではあるが、人物比べて室内は非常に狭く描かれているように見える。これは描かれている依頼主や、依頼主聖人との親密な関係を表現することを意図している。ヤン・ファン・エイクマリア巨大描いた別の作品に、ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー・オブ・アートが所蔵する受胎告知』がある。1434年から1436年ごろに描かれたこの作品では、描かれている建物建築様式不明確であるために、マリアとの比較対象となる建物大きさ判断できない構成になっている16世紀画家ヨース・ファン・クレーフェ (en:Joos van Cleve) が『受胎告知』の複製画制作しているが、おそらくは「この画家未熟さゆえに」マリアは普通の大きさ写実的に描かれたといわれている。 マリアは、聖母マリア信者前に顕現する「聖母の出現」の構成描かれている。このため教会の聖母子』の失われたパネルには、マリア向かって跪いて祈りささげるディプティク制作依頼者の肖像画描かれていたと考えられている。聖人信者前に姿を現すという構図はこの時代北ヨーロッパ美術作品によく見られるもので、ヤン・ファン・エイクの『ファン・デル・パーレの聖母子』(1434年 - 1436年)も、同様の構図描かれた作品である。この『ファン・デル・パーレの聖母子』では、聖書を手に祈り捧げていた依頼主ヨリス・ファン・デル・パーレ一息ついた瞬間に、祈り具現化したかのように聖母子聖ゲオルギウス、聖ドナトゥス顕現する様子描かれている。

※この「教会を体現する聖母マリア」の解説は、「教会の聖母子」の解説の一部です。
「教会を体現する聖母マリア」を含む「教会の聖母子」の記事については、「教会の聖母子」の概要を参照ください。

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教会コーブルクの中心部のもう一つの記念碑的建築物は、1320年から1586年にかけて建設されたモーリッツ教会である。この教会はバイエルン福音ルター派教会に属する主要教会である。教会の最も古い部分である東の内陣は、1330年のものである。2つのユニークな塔を持つ西側部分は、1420年頃に建てられた。そしてさらに100年後に、教会堂の本体にあたる身廊の建立が実現した。1530年の復活祭週間にはマルティン・ルターがこの教会で説教を行っている。カトリックの都市教区教会である聖アウグスティン教会は、公立劇場の裏手にある。侯爵の墓を持つネオ・ゴシック様式の教会である。この建物は、ヴィンチェンツ・フィッシャー=ビルンバウムの設計により、1855年から1860年に建造された。旧市街にはこの他に、ウンテレン・アンラーゲにザルヴァトール教会がある。この教会は、1494年に建設されたサルヴァトール墓地に隣接して建てられた、福音派・ルター派の墓地教会である。一つのホールに3つの内陣を持つこの教会は、1660年から1662年に建造された。旧市街地域では他に聖ニコラウス礼拝堂も紹介する価値がある。この礼拝堂は、1473年にハンセン病患者の治療礼拝堂として建造され、現在は市の所有物となっている。1529年からは福音派の礼拝堂、1806年からはカトリックの礼拝堂、1873年から1932年の間はユダヤ教のシナゴーグとなった。この教会はおそらく、シナゴーグに改装されたドイツ唯一の教会であろうと推測される。ユダヤ人のコミュニティは1932年の終わりに、所有者である市に対して利用権の解約を申し入れた。1946年からは自由教会派の礼拝堂、そして1962年からは古カトリック派の礼拝堂と曲折をたどった。かつての市域の北側にあたるイッツ川沿いに聖十字架教会がある。福音派・ルター派の教区教会で、ゴシック様式の内陣は1401年から1407年に、長堂は1413年に作られた。1735年から1739年にバロック様式の内装を持つホール式教会に改装された。化粧漆喰の天井やオルガンの前面パイプはこの時に作られたものである。市内中心部のその他の建築物

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