教会カンタータの内容と礼拝の関連性
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「教会カンタータ」の記事における「教会カンタータの内容と礼拝の関連性」の解説
教会カンタータは、教会での礼拝のプログラムに組み込まれている。礼拝の目的は神の言葉を人々に普及させることにあるため、普及活動の一環として音楽を提供する。すなわち、聖書の朗読と牧師の説教と、教会カンタータの内容は密接に関連している。いうなれば「聖書の言葉を牧師が説明し、聖書の物語を音楽で再現する」と言ってもよい。 このことを、有名なバッハのカンタータ「心と口と行いと生きざまもて(Herz und Mund und Tat und Leben;BWV147)」で例示してみよう。この曲は、教会暦で毎年7月2日に定められた「主の母マリアのエリザベト訪問記念日」のために作られた台本にもとづく曲である。コンサート会場は別として、教会の中にあっては、決してクリスマスや復活祭など他の行事の礼拝で演奏されることはない。それは、礼拝の根幹を成す聖書朗読とカンタータの内容が密接に関係しているためである。 エリザベト訪問記念日には、ルカ福音書第1章の第39節から第56節までが朗読され、牧師はこれに解釈を加えるいわゆる説教を行う。この日に朗読される範囲には、洗礼ヨハネを身ごもっているエリザベトをマリアが訪問してイエスの懐妊を報告すること、報告を聞いた洗礼ヨハネが胎内で喜び跳ねたこと、それを受けてマリアが主に感謝のほめ歌(この歌詞が「マニフィカト」である)を捧げたことが記述されている。BWV147はこの記述を下敷きとし、迫害や偏見を克服して主に感謝を捧げるよう促し、また怯む魂にイエスから助力があることを確信する歌詞で構成される。 一方で、牧師の補足説明作業である「説教」については、牧師の裁量に任されているため、必ずしも説教とカンタータがマッチングするとは限らない。BWV147の場合、朗読聖書の前半部分とはマッチするが、後半のほめ歌とは乖離している。牧師がほめ歌について説教した場合、BWV147では場に相応しくない音楽となってしまう。その場合は、ほめ歌を下敷きとした「わが心は主をあがめ(Meine Seel erhebt den Herren;BWV10)」を用いる。このようにして、同じ教会暦の聖書に対応して多様なカンタータが制作されるのである。バッハに限らず、バロック後期の音楽家の手で生み出された教会カンタータは、教会暦の聖書に対応した定期カンタータが主体であり、教会暦に関係なく演奏できる不定期カンタータは、婚儀か葬儀のために作曲したものなど一部に限定される。
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