教会カンタータの構成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 03:51 UTC 版)
「教会カンタータ」の記事における「教会カンタータの構成」の解説
教会カンタータのみならず、世俗カンタータを含めたカンタータのほとんどは多楽章の作品である。 1700年頃までは、オペラで発達したレチタティーヴォはあまり用いられず、器楽編成や合唱・独唱の交代、テンポの変化などによって楽章を構成した。台本もオリジナルではなく、聖書からマニフィカトや哀歌、雅歌、詩篇などを抜き出してコラールや若干の自由詩を挿入する形式のものが多い。またコラールを一節ずつ変奏していく形式も多く見られた。バッハの「キリストは死の縄目に捕らわれたり(Chirist lag in Todesbanden;BWV4)」が代表例である。 1700年頃から、自由詩を多用する台本が普及し始める。ハンブルクの牧師エルトマン・ノイマイスターが1700年に出版した台本がその嚆矢とされている。ノイマイスターはオペラを規範とした台本を作成し、ハンブルクの音楽監督に提供した。さらにそれを出版してドイツ各地の作曲家にも提供したことで普及した。初期には保守的な牧師から白眼視されたが、作曲家たちは大いに能力を発揮できる台本を受容した。作曲家もまた、イタリアやフランスから最新の音楽や楽器を学び取り、その技法をカンタータに取り込んだ。18-19世紀にバッハのカンタータを愛好した学者の中には、「カンタータは列車である。合唱は機関車、アリアとレチタティーヴォは客車、最後尾にコラールの郵便車」とたとえた人もいる。そのルーツがノイマイスターの台本である。台本は作詞者の意識のほかに、作曲者の好みも反映される。ヴァイマル宮廷の詩人ザロモン・フランクは、バッハに台本を提供したことで知られているが、バッハがケーテンに転出するなり、台本にコラールを盛り込まなくなった。逆に言えば、バッハがコラールを盛り込むことに執着していたことを如実に表している。もちろん、冒頭が合唱とは限らず、いきなりレチタティーヴォで始めてみたり、器楽だけのシンフォニアを持っていたりと、多様性に富んでいる。
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