政府と政党の交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/26 05:07 UTC 版)
「ジャナ・アンドラン」の記事における「政府と政党の交渉」の解説
チャンドは政党側に示す条件を文書にする作業に取り掛かった。まず、憲法からの政党禁止条項の削除を挙げた。事実上の複数政党制の容認である。しかし、憲法改正はパンチャーヤト制度の枠組みの中で行うとした。 この文書に政党が同意した時点で、政党代表と国王が会談するという戦略をとった。ラナとレグミはそれぞれ政党指導者と個別に会い、その感触を探った。ネパール会議派は主に自宅軟禁されていたので居所がはっきりしていたが、統一左翼戦線は地下活動をしていたので多くのリーダーの所在を突き止めるのに苦労した。 会議派のコイララ総書記はおおむね賛成したが、党首のバッタライ、最高指導者のシンの同意が必要だという。党首のバッタライもシンの同意が必要だという。ネパール会議派最高指導者・ガネーシュ・マン・シンハは自宅軟禁を解かれて市内のビール病院に入院していた。シンハは国王が複数政党制の復活を公に宣言しない限り、国王に会うことはないと言い切った。8日、政府側とシンハとの2回目の会談が行われた。刑務所から釈放されたばかりのサハナ・プラダンも同席した。シンハは依然として、国王と会うことに難色を示した。 ラナはつてをたどってラダ・クリシュナ・マイナリと電話連絡することができた。マイナリも自分ひとりでは決められないという。一方、チャンド首相は獄中にあった国家パンチャーヤト議員のトゥラダルを一時獄からだし、会談した。トゥラダルは政治囚の全員釈放を要求した。首相は、その件は手続きに入っているとした。トゥラダルは左翼統一戦線の7人のリーダーに電話した。 4月8日、7政党はトゥラダルの自邸で会議を開くこととした。途中から閣僚のラナも参加し国王の意図を説明した。統一戦線側は「パンチャーヤト制の下での複数政党制には同意できない」と回答した。ラナが帰った後、サハナ・プラダンが入ってきた。プラダンは政府と会議派の間で統一戦線ぬきで国王と会う方向で話が進んでいると伝えた。一同は衝撃を受けた。 この日、二度目のシンハとの会談が行われた。チャンド首相は今日にも国王がシンに会いたがっていると伝えたが、シンハは同じ言葉を繰り返した。結局バッタライ党首に説得され、シンハは党代表が国王と会うことで同意した。出席するのはバッタライ党首とコイララ総書記の二人と決まった。その直後、左翼統一戦線の4人が、シンの病室にやってきて、バッタライ等を非難した。政府側の条件にパンチャーヤト制廃止が含まれていないというのである。シンハは、統一左翼戦線の意見に同意した。 しかし、時間切れが迫っていた。左翼統一戦線の幹部たちは、トゥラダルの家でまた議論した。結局、ネパール会議派抜きで闘争を継続するのは無理だという意見が大勢を占めた。国王に会う代表が直接パンチャーヤト制の廃止を直訴することになった。結局、サハナ・プラダンとマイナリが国王と会うことになった。 謁見は国営テレビで中継された。ネパール会議派のバッタライは、パンチャーヤト制度の廃止を訴えた。サハナもマイナリも同じことを訴えた。国王は確答を避け、憲法改正委員会に会議派、左翼統一戦線、パンチャーヤトの代表が加わるという提案をした。サハナは反対したが、国王は答えなかった。謁見は終了した。
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