政体と統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 22:43 UTC 版)
「スウェーデン領ポメラニア」の記事における「政体と統治」の解説
ポメラニアの貴族層は社会の下層を占めていた農奴に対してしっかりと確立し、広範な特権を有していた。18世紀末でもなお、農奴は地方人口の2/3を構成していたのである。貴族が所有していた領地は管区と、国土の1/4を占め、アムト(ドイツ語版)に分割されていた王領に分かれていた。 スウェーデン領ポメラニアにおける騎士領(ドイツ語版)(Rittergut、リッターグート)の1/4は、スウェーデン人の貴族が治めていた。公領(Domäne、ドメーネ)は当初、その2/3をスウェーデン人の貴族と、残りを官人が占めていたが1654年に先代のスウェーデン女王、クリスティーナが統治することになった。スウェーデン人とポメラニア人(英語版)の貴族層は通婚し、18世紀中には民族的に区別がつかなくなる。スウェーデン王国におけるポメラニアの地位は、ポメラニアの身分制議会とスウェーデン政府(英語版)の協議に左右されるようになる。それは1663年7月17日に統治制度(ドイツ語版)が提示(公布は1669年4月10日の合意による)されるまで成果に乏しく、ポメラニアの身分制議会がスウェーデン国王に自らの新しい支配者として表敬したのは1664年になってからのことであった。 ポメラニアの王立政府(Königliche Landesregierung、ケーニクリヒェ・ランデスレギールンク)は常にスウェーデンの枢密院議長でもあった総督(英語版)を5名の評議員の主席とし、その中には上訴裁判所の総裁、シュテッティーン要塞司令たる総督と王立警察区の総監が含まれていた。必要に応じて身分制議会、貴族、市民と1690年までは聖職者も、「ラントターク(英語版)」と呼ばれる地方議会に招集された。貴族は一地方につき一名の代理人が代表となった。これらの代理人は、同様に担当する地方の貴族議会によって権限を与えられていた。市民階級は、例えばシュトラールズントのように政治的特権を与えられた一都市につき一名の代理人が構成した。このラントタークの議長を務めたのは法務官(Erb-landmarschall、エアプ=ラントマーシャル)である。議会の第三の構成員は、当初は十名、後に五名となった地方議員であり、彼らは身分制議会の指名に続いてポメラニア王立政府から任命された。ラントタークの議員はスウェーデン政府との調停を行い、政体を監督する地方議会を形成したのである。 ポメラニアの諸公の間で大きな権限を行使した身分制議会は、1663年の政体によってポメラニアに影響が及ぶ限り拒否権を与えられていたにも拘らず、スウェーデンに重要な影響を及ぼすことができなかった。しかし、その請願の権利は制限を受けず、1720年にスウェーデン国王フレドリク1世が与えた特権によって立法と課税に参加する権利も付与されている。 シュトラールズント、シュテッティーン、グライフスヴァルト及びアンクラムの諸都市には自主的な司法権が与えられていた。
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