掲載写真に関する議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/19 09:02 UTC 版)
「ザ・レイプ・オブ・南京」の記事における「掲載写真に関する議論」の解説
秦郁彦は本書掲載の写真のうちの残虐写真とみられる11枚はすべて「偽物」と断定し、その決定的な根拠として、本書の掲載写真の一枚が、日本の雑誌の写真の誤用であることが明らかであると主張した。つまり、本書で、日本軍の兵士が中国人の女性たちを護送している写真に、「日本軍が移動すると、彼らは何千もの女性を駆り集めた。彼女らの多くは輪姦され、あるいは強制的に軍事売春宿に入れられた(軍事委員会政治局、台北)」とキャプションをつけて、掲載しているが、この写真は『アサヒグラフ』昭和12年(1937年)11月10日号掲載の写真「我が兵士(日本軍)に援けられて野良仕事より部落へかえる日の丸部落の女子供の群れ」であるので、誤用が実証されたと主張した。この写真は、南京研の笠原十九司も著書『南京事件』において「日本兵に拉致される江南地方の中国人女性たち」とキャプションをつけて掲載していた。笠原は、その後、中国国民政府軍事委員会政治部が、朝日新聞カメラマンが撮った写真を「悪用」もしくは「誤用」したものであったとして、掲載写真を差し替え、謝罪した(笠原十九司#写真誤用問題参照)。 1998年7月26日付サンフランシスコ・クロニクル紙の記事で、チャールズ・バレスは秦の論文を紹介したが、これに対して、チャンは「写真のキャプションには、写真がいつ、どこで撮影されたかについては何も書いていない。私の本は、南京大虐殺とのかかわりで、日本の中国侵略の恐怖を解説している。私の本での写真のキャプションは、『日本人は何千もの女性を駆り集めた。そのほとんどは輪姦され、あるいは強制的に軍事売春宿に入れられた。』となっている。この二つの文は否定できない事実を記している。」と反論した。。 秦の論文ののち、藤岡信勝、東中野修道らが、『「ザ・レイプ・オブ・オブ・南京」の研究』などで、南京大虐殺の写真のねつ造説をさらに展開した。しかし、渡辺久志は、写真捏造説は誤りであると主張している。 前掲論文において、秦は本書の四十数枚の掲載写真のうち、「首切り」のカテゴリーが7枚、「性犯罪」の関連が4枚であると残虐行為の写真を限定し、撮影者の名や日付が記入されているものがないので、すべてニセモノだと断定している。しかし、本書には秦が選別した写真以外にも、首切りや性犯罪、あるいは虐殺の写真が掲載されている(マギーフィルムや村瀬守保の写真など)。これについて、巫召鴻は、秦は残虐行為などに係る写真を選別した結果、すべてが出所不明だったという印象を与えているが、実際には残虐行為の写真のうち、出所不明であると思える写真を選別したものが秦の言う11枚の写真であったというべきであると指摘している 前掲論文で、秦は、ニセモノであると断定してい11枚の写真のうち、何らかの検討をしているものは、前述のアサヒグラフの写真を含め、3枚だけである。秦が検討した3枚の写真のうちの1枚は、確実な写真であるとする指摘がある。また、秦が言及しなかった別の写真についても、「近隣した時間に同じ場面を」別の角度から撮影した写真が、南京戦に参加した日本の部隊の軍人の遺品から発見され、これを根拠に、合成説等がなりたたないとする記事が、2008年9月に朝日新聞に掲載された。同記事では秦郁彦へのインタビューも掲載され、その写真については秦も合成写真説が成り立たないことを認めた。
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