手塚と酒井の役割分担について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 00:28 UTC 版)
「新宝島」の記事における「手塚と酒井の役割分担について」の解説
手塚本人は、酒井が鬼籍に入った後に発売された手塚治虫漫画全集のリメイク版のあとがきで「酒井さんが、原案と構成をしたことになっているが、原案はともかく、構成の草案は自分がした」と記している。 同時に当時の日記も載せている。しかし宝島制作時の日記は数か月分は載せていない。 中野晴行は共作者の酒井が元アニメーターであったことから、映画的表現はむしろ酒井の功績であるとの考えを示した。他にも日記が抜けている事、手塚の母親の手紙に酒井の指導があったと記述された件や酒井や手塚の周囲の人達からの証言、絵の構成の違い、楳図かずおやさいとう・たかをの発言を挙げている。 一方、野口文雄は中野の説に反論し、日記について森晴路に問い合わせた所、現物を見ればわかるが初めから書いてなかったと発言している。(似た発言を手塚治虫文庫全集のあとがきにて森は語っている) 手塚の母からの手紙は『マイナーなまま、これといった作品も残せずに忘れ去られて迎えた死の報を聞いて、功成り名遂げた我が子を遜って、「指導を仰いだ」というような書き方をするのはごく普通のことであって、それを鵜呑みにするのは正当な解釈とも思えない。』(原文ママ)と述べており、原稿を何度かやりとりしたのは、指導ではなく手塚の才能を引き出す為はげましていただけに違いないと述べている。酒井が手塚の原稿を修正したのは、痕跡を残そうと手を加えただけで、手塚は誰の教えも請わず一人で作ったと結論づけている。 楳図が手塚について、パッと飛ぶタイプの作家であり新宝島は酒井の色が強い作品と述べているに関しては、手塚は宝島の二番煎じをするような凡庸な作家ではなく、酒井は後年まで新宝島の呪縛から逃れられないが、手塚は脱皮できた作家と反論している。 さらに新宝島以前の酒井の漫画は、1コマや4コマの風刺漫画や絵本のようなものしかなく、長編漫画を描いた経験がない戦前からの漫画家である酒井が突然描けるわけないと述べている。(手塚も長編漫画をかいた経験はないが野口によると習作が残っているから描けるとの事) さらに新宝島に似たキャラが登場する怪ロボットや海底魔について、米澤嘉博が酒井の画風は手塚風と述べた件をあげて、影響を受けているのは酒井の方であるとしている(ただし引用元の書籍で米澤は影響受けているという記述はない。西部風、絵物語風、手塚風など色々なタッチ作風が描けて、絵本や紙芝居など絵にかかわる仕事なら何でもやる職人芸的な技術を見せる古いタイプの絵描き、と米澤は述べているだけである)。 なお野口の書籍の背表紙のイラストを「原本の表紙は酒井七馬の絵だからダメだ」とリメイクの手塚のイラストを使っている。
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