扇歌作の都々逸
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都々逸扇歌は、「よしこの節」や名古屋で流行していた「名古屋節」を元に誰でも唄えるような曲調に仕上げていると云われてる。 扇歌作の唄はそれほど多くは残っていない。以下は、代表的なもの。 親がやぶならわたしもやぶよ やぶに鶯鳴くわいな 藪医者の息子ごときが芸人として大成できるわけがない、と叔父に江戸行きを止められたときに唄ったとされる。 わたしゃ奥山一もと桜 八重に咲く気はさらにない たんと売れても売れない日でも 同じ機嫌の風車 白鷺が 小首かしげて二の足踏んで やつれ姿の水鏡 願人坊主のようななりで三味線片手に流浪していた際に自分の姿を唄ったものともいわれる。 乗り出した船じゃわいな 沖の果てまで さあさやりましょ面舵取り舵ゃ 船頭さんの胸じゃいな 扇橋に弟子入りを志願した際にこの唄を唄い無事弟子入りがかなったとされる。「船頭」は扇橋とかけている。 磯部田圃のばらばら松は 風も吹かぬに木(気)がもめる 生まれ故郷の風景を唄ったもの。 諦めましたよどう諦めた 諦め切れぬと諦めた 来てはちらちら 思わせぶりな 今日も止まらぬ秋の蝶 梅干じゃとて笑わしゃんすな昔は花よ 鶯啼かせたこともある 同じ約束 石山寺よ 余所じゃ私も萩の月 待つが辛いか待しるる私 内で首尾しているつらさ しの鉢を引っくりかえせばありゃ富士の山 味噌もするがの裏表 他人の人にもこうかと思もや お前の実意が苦にもなる きりぎりす粋な小声で一足止めて 手を出しゃ木陰にかくれやがる 潮時やいつかと千鳥に聞けば わたしゃ立つ鳥波に聞け 都々逸も うたいつくして三味線枕 楽にわたしはねるわいな (辞世の唄) また、扇歌作の狂句(川柳)も残っている。 上は金 下は杭無し(食いなし) 吾妻橋 庶民はその日食うにも汲々しているのに政官の連中は金にあかした生活をしている様を吾妻橋にたとえて風刺した。 真直に 行けば五条(五常)の 道に出る 安芸が身に あつき御恩の冷炬燵 花の山 茶を煎じるもさくら炭 たきたての つめたい飯をすしにつけ 妙典も 藻屑千ひろの御うらみ 大名様 家主をなのる御本陣 麥のたけ 暦の末も一二寸 気に入らぬ 風もあろうに柳橋 (扇橋と柳橋は、ひところ不和であった) 気に入らぬ 節もあろうに 材木屋 十八大通の一人であることを自負していた津の国屋藤次郎という深川木場の材木屋の宴席に呼ばれた際に唄った唄。 耕すの 恩は忘れず 米の味 江戸で名を上げて故郷に帰った際に、両親や叔父の墓前で唄ったとされる。
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