戦時動員・労務動員との関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 06:14 UTC 版)
「日本統治時代の朝鮮人徴用」の記事における「戦時動員・労務動員との関連」の解説
金英達は、日本語の文脈で「強制連行」と記述する場合、ほとんどの場合は国家総動員法を制定した戦時体制下の大日本帝国政府が朝鮮半島で行った労務動員を指して使われる言葉となっていると指摘している:61:32。金は、戦時中の朝鮮人の強制動員については「戦時動員」を使い、そのなかの具体的な暴力的なケースを「強制連行」とすることを提案している。 また、鄭大均も朝鮮人の労務動員を「強制連行」と呼ぶのは、「日本人の加害者性や朝鮮人の被害者性を誇張しすぎている」として、当時の朝鮮人は大日本帝国の国民であり、日本人男性が戦場に送られていたのを代替するものとして朝鮮人の労務動員があったとしている。 これらのほか、山田昭次立教大学名誉教授は1980年代には「朝鮮人強制連行」と論文で記していたが、2005年の共著『朝鮮人戦時労働動員』(岩波書店)で「朝鮮人戦時労働動員」と呼ぶこととした。ただし、これは「強制連行」という言葉が攻撃されたからではなく、強制連行というと強制労働、民族差別の問題に目を向けなくなる恐れがあるためと述べている。山田は「戦時動員」には労働動員と軍事動員の二つがあり、同書ではこのうち軍事動員を除外した労働動員、それも日本内地に限定しこれを「朝鮮人戦時労働動員」と呼び、「強制連行・強制労働・民族差別」の三つの問題点を含めるとした。 従軍慰安婦問題を含む一連の“強制連行”という言葉が広く紹介されるようになったのは朴慶植の著作である『朝鮮人強制連行の記録』(未来社1965)によってである。 的場光昭は自著『反日石碑テロとの闘い』(展転社)で、朴の著書において南方へ強制連行されたという人物について、北海道新聞が記事で紹介した総督府に残る資料と照合した結果、当該人物は干ばつによる飢饉を逃れて妻子とともにパラオに移住したことが判明したとして、実態は朴の著書にあるような昼夜分かたず官憲が男たちを狩り集めて連れ去ったという内容とは異なると述べている。
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