戦前特別急行列車の創始とその終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 17:49 UTC 版)
「特別急行列車」の記事における「戦前特別急行列車の創始とその終焉」の解説
特別急行(特急)列車が設定される前、急行列車より速い列車には「最急行」という種別をつけることがあった。その中でも1906年(明治39年)4月16日に、国有鉄道の新橋駅 - 神戸駅間で設定された「最急行 1・2 列車」は、運賃以外に初めて速達サービスのための料金を徴収する列車となるなど、現在の有料特急・急行の元祖と位置づけられるものであった。 「特別急行」の種別を初めて用いたのは、1912年(明治45年)6月に前述した「最急行 1・2 列車」を区間延長する形により、関釜連絡船を介して中国・欧州などへの国際連絡運輸の一翼を担う「大陸連絡列車」として、新橋駅 - 下関駅(山口県下関市)間で運転を開始した 1・2 列車である。編成内容も一等車・二等車のみで展望車が最後尾に連結されるなど、「日本の国威」を対外宣伝するためのような存在であった。1914年(大正3年)12月に東京駅が開業すると、1・2 列車も東京駅始発となった。 1923年(大正12年)7月、同区間に三等車のみで構成された 3・4 列車が運転開始される。そこからも分かるように、この列車はどちらかと言えば大衆向けの設定であった。昭和に入ると特急列車に「列車愛称」が付けられるようになり、新しい列車の設定も見られたが、間も無く戦争に突入したため、結局戦前の特急列車は下記の 4 種のみにとどまった。また戦前の特急列車は、東京以西の路線(東海道本線、山陽本線、鹿児島本線、長崎本線)のみで設定されていた。しかし第二次世界大戦の戦局が悪化した1944年(昭和19年)3月14日には、決戦非常措置要綱に基づく旅客の輸送制限に関する件が閣議決定され、特急および急行列車などの全廃が決定。同年4月を以て「富士」を最後にそれらは全て廃止され、日本の特急列車は一旦消滅した。
※この「戦前特別急行列車の創始とその終焉」の解説は、「特別急行列車」の解説の一部です。
「戦前特別急行列車の創始とその終焉」を含む「特別急行列車」の記事については、「特別急行列車」の概要を参照ください。
- 戦前特別急行列車の創始とその終焉のページへのリンク