戦争犯罪容疑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 03:23 UTC 版)
2001年7月、ICTYはクロアチア政府に対して、ゴトヴィナとラヒム・アデミを逮捕するようにとの起訴状を発行した。起訴状によると、ゴトヴィナにはクロアチアのセルビア人への犯罪行為に対して、指揮官としての責任と個人としての責任の両方があるとされている。彼の部隊が人道に対する罪や戦時国際法における交戦法規違反行為を犯したともされている。嵐作戦の間、200,000から250,000人のセルビア人が追放され、少なくとも150人が殺害されたと見られている。ゴトヴィナの部隊は発砲、放火、刺殺、セルビア人達が二度と戻ることが出来ないように彼らの住居の多くを破壊した容疑が科されている。 この起訴状はすぐに論争を呼ぶものとなった。政府がICTYへの協力を決定したため、ゴトヴィナ支持の人々は強く抗議し、テニス選手のゴラン・イワニセビッチといった著名人も二人の引渡しに反対するキャンペーンに参加した。その後ラヒム・アデミは任意投降したがゴトヴィナは拒否、逃亡生活を余儀なくされる。 4年の間、ゴトヴィナはアメリカやEUから自首するようにとの圧力を掛けられていたが逃亡生活を送った。2005年9月、BBCはゴトヴィナがクロアチアかボスニア沿岸のフランシスコ会修道院に潜伏していると報道した。当時、ゴトヴィナはクロアチア政府の一部や軍、更にはカトリック教会からも援助を受けていると考えられていた。同じ月、ICTYのカルラ・デル・ポンテは、ゴトヴィナを保護しているとしてバチカンを公に非難したが、バチカン側はこれを否定した。 クロアチア以外の国々もゴトヴィナを追跡し、国際刑事警察機構から令状も出された。アメリカ政府はゴトヴィナ逮捕に5百万ドルの懸賞をかけた。イギリスやオランダ等は、ゴトヴィナ逮捕がクロアチアのEU加盟交渉開始の条件の一つであるとした。クロアチア政府はこれに対し、政府側もゴトヴィナの居場所をつかんでおらず、すでに海外に逃亡したのではないか、また逮捕には最大限の努力を払っていると語った。EU加盟交渉は2005年3月17日に始まる予定であったが、前述の理由で延期された。トルコとの加盟交渉の停止に伴い、結局10月に再び交渉が始まった。ICTYは同時期、クロアチア政府はICTYに全面的に協力していると公表したが、詳細は語られなかった。
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