カナダ戦争犯罪調査委員会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 03:16 UTC 版)
「第14SS武装擲弾兵師団」の記事における「カナダ戦争犯罪調査委員会」の解説
1986年10月、カナダの「戦争犯罪調査委員会」においてジュールズ・デッシュネス(Jules Deschênes)判事は以下の論評を行った。 イタリア(の捕虜収容所)に居た時、これらの人々はソビエト連邦とイギリスの作戦から隠匿されており、それ以降も西側連合軍と戦った事や、非人道的行為を行ったという証拠は明るみにでなかった。カナダへの入国以降の彼等のふるまいは素晴らしく、そしてどのような形であれ、彼等が少しもナチスのイデオロギーに染まっていないことを示してくれている。これらの人々を調査した陸軍省による特別報告によれば、ナチス・ドイツがソビエト連邦に侵攻した後、早期に占領されたウクライナ西部においてそれまでのソビエト当局の圧制に苦しんでいたウクライナ人が自らの民族主義的動機からソビエト赤軍に対する義勇兵に参加したことは明らかである。共産主義者により、彼等が他の亡命者のように「売国奴」「戦犯」とするプロパガンダが行われたが、戦争犯罪について容疑を特定したものがソビエト連邦を含める諸国から提出されなかったことは注目すべき点である。 さらに委員会は以下の声明を発表した。 56 - ウクライナの委員会により、OUN/UPAの活動上にガリツィア師団を含めるべきではないこと。57 - 元ガリツィア師団の将兵がカナダに入国する際、個人個人について調査を行ったこと。58 - ガリツィア師団の戦争犯罪容疑については1950年の調査では実証されておらず、さらに1984年の再調査においても、当委員会でも実証されなかった。59 - さらに、関与した証拠、または特定の戦争犯罪についての知識無しでガリツィア師団を基礎するには不十分である事。60 - 1950年、カナダ当局はガリツィア師団が関連していた事実に気づいており、カナダへの入国許可に関連して虚偽、不正行為、資料の隠匿が行われなかったため、彼等の入国拒否、及び追放を行うことができなかった。61 - いずれにせよ、サイモン・ヴィーゼルタール氏によって非難されたガリツィア師団の将校217名の内、187名はカナダに決して足を踏み入れず、11人がカナダで死亡、2人は出国、16人は起訴が確立されることなく、最後の1人は不明である。
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