性風俗の過激化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:51 UTC 版)
トルコ風呂は、個室内で裸の男性に対して女性がマッサージを行うことから、東京温泉以外では、性的サービスを行う店舗が増えていった。週刊現代トルコ風呂専従記者であった広岡敬一の『ちろりん村顛末記』『戦後性風俗大系』によれば、ソープランド/トルコ風呂の歴史概略は以下のようである。 1953年(昭和28年):都内20店・全国70店に拡大。 手を使って男性器をマッサージし、快楽に導く「スペシャルサービス」(おスペ)が売り物になりミス・トルコの呼び名も広がっていく。 1958年(昭和33年):売春防止法施行。 赤線廃止に伴い赤線女性のトルコ風呂流入。 同年は、都内33店・全国で100店を超える。 1960年(昭和35年):さらに全国的に店舗が増加。都内67店・全国167店。 ただし近畿地方では、旧赤線を引継いだちょんの間が残っていたため、増加傾向やサービスの過激化は、関東地方が主流となる。 1963年(昭和38年):赤線廃止後、本番サービスが中心となっていたが、東京オリンピックを控えて、東京浄化運動による取締りが強化され、おスペサービスが限界となったという。 1966年(昭和41年):トルコ風呂が風俗営業法の適用を受ける。また、この年初めて正確な調査が行われた。全国706店(東京都208店・神奈川県54店・千葉県28店・北海道25店・福島県7店・岐阜県30店・福岡県18店)という結果であった。 1969年(昭和44年):川崎市堀之内に開店した川崎城に勤めていた濱田を名乗る女性が「泡踊り」と呼ばれるサービスを考案。 1970年(昭和45年):週刊大衆・アサヒ芸能・週刊現代の順に、トルコ風呂に関する記事が大きく展開されていく。
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