性同一性の起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 17:42 UTC 版)
性同一性障害を有さない大多数の者においても、もし出生してまもなく反対の性に手術を施され、戸籍も扱いもその性別にされた場合、性別の不一致による苦悩や困難に直面する可能性が高いといえる。一つの例え話として、もし仮に人生半ばで何らかによって自身の身体の外観を失い、性別を外から判定できず、家族や知り合いもいない、戸籍などの証明書も消失した場合、周囲に対してどのように自身の性別を認めてもらうか。「自分は男性・女性だ」と自己の性の意識にしたがって訴え、それを何とか受け入れてもらうしかない。その〈男性〉としての、〈女性〉としての認識や感覚、そして自身がそれを信ずる確信は、はたしてどこからやってきて、どこに起源があろうか。 人の性同一性の形成は、環境要因による後天的なものか、生物学的な要因による先天的なものかは長く論じられてきた。この論争において有名な症例として「ジョン/ジョアン症例 The “John/Joan” case」がある。性同一性の形成の決定的な要因は明らかとなっていないものの、この症例によって、生まれる前の生物学的な要因が関わっていることは確かであるといえる。また、脳には胎児期の性分化によって生じる構造的な男女の差があり、その一部には性同一性との関連が示唆され、性同一性は胎児期の性分化においてほぼ形成される先天的なものとみられている。 「ジョン/ジョアン症例 The “John/Joan” case」1965年デイヴィッド・ライマー David Reimer はカナダで男児として出生したが、生後8か月にして事故で外性器を失う。両親は息子の将来を憂慮し、著名な性科学者ジョン・マネー John Money の勧めもあって性別再判定手術を施すことに同意、「女児」として育てた。彼は性分化疾患ではなく、そして一卵性双生児の兄弟の一人であった。生物学的に限りなく同じである兄弟の一人を男の子、もう一人を手術を施し女の子として育てたのである。この症例は、人の性同一性の形成は、環境要因か、生物学的要因かの論争において有名な症例となる。結果として、デイヴィッド・ライマーは14歳のときに父親から真相を知らされるまで一度も自分を女の子のように感じたことはなく、それまで性同一性との不一致に苦悩していた。彼はかなり早い時期から女児として育てられたものの、女の子らしいところがなく、性格はまさに男の子そのものだった。幼少の頃は “自分は女の子ではないこと” をうまく言葉に説明できなかったが、いつも「自分は女の子とは感じない」「とにかくしっくりこない」「何かが間違っている」と感じており、徐々に「自分は女の子では絶対にない」と自覚する。真実を知らされてからは即刻に本来の性に戻ることを決意、のちに男性としての人生を過ごした。
※この「性同一性の起源」の解説は、「性同一性障害」の解説の一部です。
「性同一性の起源」を含む「性同一性障害」の記事については、「性同一性障害」の概要を参照ください。
- 性同一性の起源のページへのリンク