快速線開業後からSM分離および相互直通運転開始直前まで
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「横須賀・総武快速線」の記事における「快速線開業後からSM分離および相互直通運転開始直前まで」の解説
1972年(昭和47年)7月15日に総武快速線は開業した。それと同時に起点駅が御茶ノ水駅から東京駅に変更、その際に両国駅を含む錦糸町駅 - 御茶ノ水駅間が総武本線支線(錦糸町駅起点)となったため、正式の総武本線(快速線)は両国駅を経由しない扱いとなった。これに伴い、両国駅 - 津田沼駅間で建設された複々線の正式路線上の区間は、錦糸町駅 - 津田沼駅間となり、両国駅発着の列車は、旅客線ホームから快速線の線路に入れる(詳細は後述)が、正式上は錦糸町駅 - 両国駅間は総武本線支線を走行する扱いとなった。 線路は、津田沼駅までの複々線化であったので、津田沼駅 - 千葉駅間は、各駅停車と快速・特急などが同じ線路を利用し、快速は津田沼駅 - 千葉駅間はノンストップであった。同線開業により、それまで101系10両編成で運転されていた快速電車は、全て新造車の113系電車に置き換わり、11両編成となった。同時に幕張電車区が開設され、車両は同電車区所属となった。これは、将来の横須賀線との直通運転が決定していたため、緩行線とは違う113系に置き換える必要があったことによる。また、成田駅や房総方面への直通運転も開始され、成田駅には8往復、内房線木更津駅・君津駅には11往復、外房線上総一ノ宮駅・大原駅には8往復がそれぞれ運転された。 一方、両国駅や中央本線新宿駅より運転されていた既存の急行列車は、房総方面の列車を特急列車に格上げして、特急「さざなみ」・「わかしお」を新設、急行列車は、急行「なぎさ」(内房線回り)、急行「みさき」(外房線回り)が房総半島を一周する優等列車として運行された。総武本線・成田線の急行列車には、特に動きはなかったが、1975年(昭和50年)3月10日のダイヤ改正で、エル特急「しおさい」・「あやめ」が運行を開始し、急行列車は、房総半島一周急行を廃止、房総方面を含め全てを電車化(153系・165系)してそれぞれの特急列車の補完的な列車となった。なお、この改正で、特急は全て東京駅地下ホームから発着するようになった。1976年(昭和51年)10月1日に東京駅の地下中央通路の混雑が問題となり、その緩和のため、1973年(昭和48年)6月に完成していた東京駅 - 品川駅間の別線(地下線)が開業(横須賀線の乗り入れが遅れたため、先の開業となった。詳細は後述)、朝夕のラッシュ時に品川駅乗り入れを開始、後に朝夕ラッシュ時以外にも乗り入れ時間帯が拡大し、平日46往復、休日36往復が乗り入れた。
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