後漢の時代とは? わかりやすく解説

後漢の時代(賢の登場)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 07:18 UTC 版)

莎車」の記事における「後漢の時代(賢の登場)」の解説

光武帝初め、康は傍国を率いて匈奴防いだ建武5年29年)、河西大将軍竇融は、康を漢莎車建功懐徳王西域大都尉とし、55国を服属させた。 建武9年33年)、康が死に、宣成王と諡された。代わって弟の賢が立ち、拘弥国と西夜国を攻撃してその王を殺し、康の2人の子立ててそれぞれ拘弥王・西夜王とした。 建武14年38年)、賢は鄯善王の安と後漢朝貢し、西域と漢はふたたび国交結んだ葱嶺以東諸国は皆賢に服属した。 建武17年41年)、賢はふたたび漢に朝貢し、以前のように西域都護を置くよう請うた。そこで、光武帝賢に西域都護印綬を賜わったが、敦煌太守の裴遵は「夷狄大権仮すべきではありません」と上書し、詔書西域都護印綬返還させ、賢には漢大将軍印綬を賜わった。しかし、裴遵はこれを迫奪したため、賢は漢を恨むようになった。そして、賢は大都護と詐称し西域諸国服属させ、さらに単于号した。賢は周辺国重税課し亀茲諸国何度攻撃したので、諸国は賢を恐れた建武21年45年)冬、車師前王鄯善焉耆18国は共に侍子を送り珍宝献じて、西域都護を置くよう懇願した光武帝中国平定したばかりで、北辺はまだ服従していなかったので、送られてきた侍子を還し厚く賞を賜うだけにとどめた。この時の賢は自分の兵が強いことを自負し西域諸国をすべて併合すべく、攻撃増していった。 建武22年46年)、賢は西域都護派遣されないのを知ると、鄯善王の安に漢道の絶通を命令した。安はその命令無視して賢の使者殺した。賢は大い怒り、兵を発して鄯善攻撃した。安は迎撃したが敗北し山中逃げ込んだ。賢は千余人殺略して退去した。その冬、賢はふたたび亀茲王を攻め殺し遂に亀茲国併合した鄯善焉耆諸国の侍子は久しく敦煌に留まっており、鄯善王は上書し、ふたたび遣子入侍と、西域都護派遣請願した。しかし、それでも西域都護派遣されないので、今度匈奴救い求め鄯善車師はふたたび匈奴附くこととなった。 嬀塞王が賢の使者殺したので、賢はこれを撃ち滅ぼし、その国の貴人である駟鞬を立てて嬀塞王とした。さらに賢はその子の則羅を立てて亀茲王とした。賢は則羅が年少なので、亀茲から分けて烏塁国とし、駟鞬を烏塁王に移し別の貴人立てて嬀塞王とした。数年して、亀茲国人は共に則羅と駟鞬を殺し匈奴に遣使を送って立王を請願した匈奴亀茲貴人身毒立てて亀茲王とし、亀茲はこれによって匈奴服属した。 賢は大宛貢税が滅少したので、自ら諸国兵数万人率いて大宛攻撃大宛王の延留は迎降したので、賢は国に還り、拘弥王の塞提を移して大宛王とした。しかし、康居数度これを攻めたので、塞提は在位数年大宛王を退位し、ふたたび拘弥王に戻り、賢は延留を遣わして大宛戻した。賢はまた于窴王の兪移して驪帰王とし、その弟の位侍を立てて于窴王とした。数年後、賢は西域諸国造反疑い于窴王の位侍・拘弥王の塞提・姑墨王・子合王を招いて殺し、王を置かなくなった。位侍の子の戎は漢に亡命し守節侯に封ぜられた。 永平3年60年)、于窴の将の休覇は莎車に叛き、自ら立って于窴王となる。そこで賢は太子国相遣わし諸国兵2万人で休覇を撃った。休覇は迎撃し、莎車兵を敗走させ、万余人を殺した。賢はふたたび諸国兵数発し、休覇を撃った。休覇はふたたびこれを破り過半数斬殺し、賢は単身帰国。休覇の軍は進んで莎車包囲したが、流れ矢にあたって死んだので、兵は撤退した于窴国相勒らは共に休覇の兄の子広徳立てて王とした。匈奴亀茲諸国と共に莎車攻撃し広徳は弟の輔国侯の仁を派遣して賢を攻めた。賢は遣使を送って広徳和睦し広徳は兵を引いた明年莎車相の且運らは賢の驕暴を患い密かに謀反起こして于窴降った于窴王の広徳諸国の兵3万人率いて莎車攻撃。賢は城を守っていたが、広徳挑発乗り出てきたところを捕えられた。于窴莎車併合し、賢は数年後殺された。

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