後漢・三国時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 11:00 UTC 版)
後漢に入ると、領尚書事は録尚書事となり、正式な官となった。後漢では皇帝が即位するとともに皇太子時代の傅(もり役)が太傅となり、同時に太傅は録尚書事を兼任して政権を執る。また太傅の下の三公(司徒・司空・太尉)のいずれかも録尚書事を兼任し、後漢を通じて2-3人が録尚書事となるのが通例であった。太傅以外が録尚書事となる場合は参録尚書事と呼ばれる。位の上では太傅および三公が最高であるが、実際には録尚書事を帯びない限りは権限がなかったのである。 しかし後漢中葉から、宦官たちが中常侍などの役職で皇帝の傍に侍るようになり、録尚書事以下尚書は次第に実務機関へと変わっていき、権力の中枢からは離れざるを得なくなっていった。魏になってから再び置かれるようになり、魏から西晋までの間に尚書の主導権が確立した。録尚書事は、蜀漢では平尚書事、呉では領尚書事・平尚書事・省尚書事とも言われた。蜀漢で諸葛亮の死後宰相の任にあった蔣琬・費禕はいずれも大将軍・録尚書事に任じられている。
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