後ビザンツ・オスマン統治期
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「ギリシア文学」の記事における「後ビザンツ・オスマン統治期」の解説
1453年のイスタンブル(コンスタンディヌーポリ)陥落の前よりビザンツ帝国の凋落は始まっていたが、帝都の陥落を前後して多くの知識人が主にイタリアを中心とした西欧へと逃れた。このような時代背景の故に、後ビザンツ・オスマン統治期においてはギリシア本土で自由闊達な文化活動が見られることはなかった。このような状況下において、ギリシア文学の活動が見られたのはイスタンブル(コンスタンディヌーポリ)及びオスマン帝国による占領が遅れ、加えて西欧との接触の多かったキプロス、ヒオス、クレタ、イオニア諸島等の島嶼部である。 キプロス島は小アジア由来の民衆詩の中心地であったが、ここにヴェネツィア支配によるイタリアの影響が加わり、ペトラルカのソネット等が翻訳され、これに倣う一連のソネット形式の恋愛詩が作られた。代表的な人物に、1360年から1501年までのキプロスを描き、近代ギリシア散文の父とも言われるマヘラスと、他にヴストローニオが挙げられる。 ロードス島は13世紀よりヴェネツィアやジェノヴァ等外国人の支配下にあり、この影響で恋愛を主題にした民衆歌が作られ、イェオルイラス等のロードス島の疫病を歌った叙事詩が生まれた。しかし1522年のオスマン帝国による占領後文学活動は止んだとされる。ヒオス島は1566年のオスマン帝国の到来以前はヴェニツィアやジェノヴァに占領されており、ロードス島の民衆詩の影響にある民衆詩が歌われた。 クレタ島では近代ギリシア文学の一黄金期と称してもよいほど豊富多様で高度な詩を中心とする諸文学が生み出された。ここでは13世紀から17世紀中葉におよぶヴェネツィア支配の影響とギリシア民衆詩の影響が溶け合っている。15世紀後半から16世紀前半にはビザンツ帝国の陥落を嘆く無名詩人の手になる「コンスタンディヌーポリの愁訴」、クレタの地震を歌ったスクラヴォスの叙事詩、ベルガディスの「アポコポス」に代表される数々の詩が詠まれた。中でも重要なものに、作者不明の「美しき女羊飼」とコルナロスの「エロトクリトス」であり、後のギリシア民衆詩の伝統に大きな影響を残した。他に詩以外にも、西欧の作品の影響を大きく受けた劇作品が多く残されているが、散文作品は傑作を欠く。1699年にクレタ島がオスマン帝国の軍門に下った後はクレタにおける文学的創造は見られなくなるも、イオニア諸島やギリシア各地にクレタの文学的素地が受け継がれていくことになる。 近現代の代表的な作家 ニコス・カザンザキス(Νίκος Καζαντζάκης, 1883~1957)小説家 代表作「アレクシス・ゾルバス(別名「その男ゾルバ」)」「キリストは再び十字架につけられる」、映画「最後の誘惑」の原作など イオルゴス・セフェリス(Γιώργος Σεφέρης, 1900-1971) 詩人 1963年ノーベル文学賞受賞 オデッセアス・エリティス (Οδυσσέας Ελύτης, 1911-1996) 詩人 1979年ノーベル文学賞受賞 コンスタンディノス・カヴァフィス (Κωνσταντίνος Π. Καβάφης, 1863-1933) 詩人 タキ・テオドラコプロス (Τάκι Θεοδωρακόπουλος.1937-) 作家、コラムニスト ディミトリス・リアコス (Dimitris Lyacos, Δημήτρης Λυάκος.1966-) 詩人、劇作家 コンスタンディノス・テオトキス(Κωνσταντίνος Θεοτόκης,1872-1923),作家、 翻訳家
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