建造~ミッドウェー海戦までとは? わかりやすく解説

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建造~ミッドウェー海戦まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 08:24 UTC 版)

霞 (朝潮型駆逐艦)」の記事における「建造~ミッドウェー海戦まで」の解説

1936年昭和11年1月20日浦賀船渠建造予定駆逐艦1隻が「朝雲アサグモ)」と命名されたが、6月19日改名された。12月1日起工1937年昭和12年11月18日進水1939年昭和14年6月28日竣工し同型艦と共に18駆逐隊編制した11月6日陽炎編入し15日第二艦隊第二水雷戦隊配属された。12月20日不知火編入し、第18駆逐隊陽炎不知火の4隻体制となった1940年昭和15年10月11日横浜港沖で行われた紀元二千六百年特別観艦式18駆の僚艦と共に参加18駆は第三列(金剛榛名熊野鈴谷最上利根筑摩、《陽炎》、大潮朝潮荒潮満潮、《不知火》、黒潮雪風初風)に配置された。1941年昭和16年9月1日宮坂義登大佐駆逐隊司令就任した真珠湾攻撃備えて、第18駆逐隊第二水雷戦隊指揮離れて南雲機動部隊警戒隊(指揮官第一水雷戦隊司令官大森仙太郎少将)に編入し一水戦旗艦の軽巡阿武隈、第17駆逐隊谷風浦風浜風磯風)と駆逐艦秋雲第五航空戦隊所属)と行動を共にした。1941年昭和16年11月26日南雲機動部隊警戒隊は空母6隻(第一航空戦隊赤城加賀》、第二航空戦隊蒼龍飛龍》、第五航空戦隊翔鶴瑞鶴》)の護衛として単冠湾出港ハワイ作戦参加した1942年昭和17年1月8日、呉を出港してトラック泊地進出機動部隊ラバウル攻撃従事以後2月には第二航空戦隊ポート・ダーウィン攻撃ジャワ南方機動作戦4月セイロン沖海戦参加4月23日、呉に入港し入渠整備行った5月1日、第18駆逐隊第二水雷戦隊指揮下に戻った5月下旬サイパン進出6月5-7日のミッドウェー海戦攻略隊の護衛として参加したミッドウェー作戦中止決めた連合艦隊8日重巡三隈沈没し重巡最上大破した第七戦隊指揮下に第18駆逐隊配置し護衛命じた14日第七戦隊最上重巡熊野重巡鈴谷と共にトラック帰投最上トラック残し熊野鈴谷護衛して23日、呉に帰投した。

※この「建造~ミッドウェー海戦まで」の解説は、「霞 (朝潮型駆逐艦)」の解説の一部です。
「建造~ミッドウェー海戦まで」を含む「霞 (朝潮型駆逐艦)」の記事については、「霞 (朝潮型駆逐艦)」の概要を参照ください。

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