建造施設
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ビスマルクの建造を担当したブローム・ウント・フォス社はハンブルクにあった造船所の第9船台にて進水までの工事を行った。同造船所には幾つかの大規模な浮きドックがあり、ビスマルクも1940年に入渠している。なお、荒谷俊司によれば、同造船所内の『Hamburg Schliker Verfe』所有のElbe17乾ドックは、ドイツ海軍の手により建設された巨大ドックであり、当時欧州最大を称した。このドックは底部で幅60m、長さ約310mの大きさを持ち、計算上15万トンクラスの艦船の建造が可能であった。浮力にドック自体の重力で対抗し構造物としてのバランスをとる半重力式を採用したため、底版コンクリートは6.5mの厚みを持ち、側壁コンクリート厚は2mもあった。。
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建造施設
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建造に当たり施設周囲の民家では、ドックを一望できる向きの窓は塞ぐように指示が出され、鉄道においても、施設周辺地域に列車が近づくと、当時一般的だった「要塞地帯」での取り扱い同様に、窓のカーテンや鎧戸を閉めるように指示が出されていた。日本海軍は建造に当たって多くの施設を新設、改造したが、その際に呉工廠では建造ドックに覆い屋根が設けられ、長崎では三菱長崎造船所の船台の対岸に倉庫群を建設して眺望の遮蔽が図られている。新設された横須賀第6ドックの場合、機密保持の容易性も建設に当たって条件の一つとされ、横須賀市街側から同ドック内の様子を伺うことは不可能である。 建造に携わる工員は徹底的な身元調査の上、機密を漏らさないことを約束した。根幹に関わる技師は宣誓書に署名捺印した。艦の設計図は持ち帰らないことを徹底させ、保管は二重の金庫にしまうほどであった。武蔵建造中に製図庫で図面が一枚紛失する事件があった際には、図面取り扱いに関係した人間に対して特高による取り調べが1か月以上に渡り行われ、何名かは拷問などで職場復帰不可能になってしまった。判明した犯人の少年製図工は懲役2年執行猶予3年の刑を受けて家族と共に中国へ強制移住させられ、行方不明になったと言われている。その後の吉村昭の取材によれば、長崎に戻ったのち家庭を持ったが、終戦後に急性肺炎で死亡した。
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