建国をめぐる議論とは? わかりやすく解説

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建国をめぐる議論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:58 UTC 版)

日本」の記事における「建国をめぐる議論」の解説

神国」および「皇国史観」も参照 公的に1966年成立した建国記念の日となる日を定め政令昭和41年政令376号)により、2月11日が「建国されという事そのもの記念する日」として建国記念の日(旧紀元節)が定められた。記紀による初代神武天皇即位の日(辛酉1月1日)をグレゴリオ暦換算(紀元前660年2月11日)による。紀元前663年奈良盆地その周辺支配していた長髄彦神武天皇打ち破り神武東征)、神武天皇奈良盆地その周辺統治することになったとされる。 ただし、国家としての日本日本の民族文化は、有史以前からの長い年月経て段階的に形成され神話現実区別難し記録が多いため、建国時期確実な根拠となる記録存在しない。 この神武天皇即位紀元をもとに1957年頃から「建国記念日制定に関する法案9度渡り提出されてきたが、歴史学立場から見る神武天皇即位は、当の記紀何人もの人が100歳以上生きていたなどの記述もあることから神話見られ事実でないとするのが戦後大勢であったため、いずれも成立には至らなかった背景がある。 そのため建国記念の日も「日本建国され日付」を法律上定義するものではない。 神武天皇実在しなかった架空の人物である可能性があるが、『日本書紀』神武紀に、カムヤマトイワレヒコ神武天皇)が辛酉春正月庚辰朔(1月1日)に即位したとの記述があり、明治時代以前日本では、これが日本建国画期広く考えられていた。そのため明治5年11月15日1872年12月15日)には、神武天皇即位紀元西暦紀元前660年に始まると定められ、これを元年とする紀年法・「皇紀」が明治6年1月1日1873年1月1日)から使用されていた 他にも建国時期として、「日本」という国号定められ時期飛鳥浄御原令ないし大宝律令成立)や大政奉還なされて近代国家建設始まった国際法上国家主権存在明確化された)明治維新時期とする学説もあるなど、日本建国時期明確に定義づける証拠はない。

※この「建国をめぐる議論」の解説は、「日本」の解説の一部です。
「建国をめぐる議論」を含む「日本」の記事については、「日本」の概要を参照ください。

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