幸阿弥家当主
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 18:20 UTC 版)
道長 -(初代、1410年 - 1478年)土岐伊豆守源國房より13代目の土岐四郎太夫道房の子。近江に領地を保有した。土佐光信に下絵を描かせて高蒔絵を、能阿弥の下絵には研ぎ出し蒔絵を施した。 道清 -(2代、1433年 - 1500年)道長の子。後土御門天皇即位の際に、足利義政から道具類の製作を命ぜられた。 宗金 -(3代)後柏原天皇即位に際し、足利義澄から道具類の製作を命ぜられた。1527年に71才で没。 宗正 -(4代)宗全の子。1554年に76才で没。 宗伯 -(5代、1484年 - 1557年)宗金の子、宗正の弟。後奈良天皇即位の際に、細川高国から道具類の製作を命ぜられた。1557年に74才で没。作品に桜山鵲蒔絵硯箱。 長清 -(6代、1506年 - 1603年)宗伯の子。正親町天皇即位に際し、足利義輝から道具類の製作を命ぜられた。1603年に75才で没。 長晏 -(7代、1569年 - 1610年)長清の子。後陽成天皇即位に際し、豊臣秀吉から道具類の製作を命ぜられた。1610年に東海道において落馬し42才で没した。 長善 -(8代)長晏の長男。1613年に没した。 長法 -(9代)長晏の次男。1618年に没した。 長重 -(10代、1599年 - 1651年)長晏の三男。御用蒔絵師として京都と江戸を往来した。作品に、東福門院の婚礼調度品、明正天皇の即位調度品、初音蒔絵三段がある。狩野守信が下絵を描き長重が高蒔絵を施した。徳川家光の意向によって唐松に蔦の文様を蒔絵で表現した。幸阿弥家の中で最も名工といわれる。 長房 - (11代、1628年 - 1682年)長重の子。後西天皇即位の際、徳川家綱の意向により調度品を製作した。 長救 -(12代) 正峰 -(13代) 道該 -(14代) 長孝 -(15代) 長周 -(16代) 長輝 -(17代) 長行 -(18代)長輝の長男 長賢 -(19代)長輝の次男。
※この「幸阿弥家当主」の解説は、「幸阿弥派」の解説の一部です。
「幸阿弥家当主」を含む「幸阿弥派」の記事については、「幸阿弥派」の概要を参照ください。
- 幸阿弥家当主のページへのリンク