幌内鉄道の開業とは? わかりやすく解説

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幌内鉄道の開業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 13:44 UTC 版)

官営幌内鉄道」の記事における「幌内鉄道の開業」の解説

建設工事は、1880年明治13年1月小樽市内若竹第3隧道から着工された。同年10月24日には手宮桟橋 - 熊碓第4隧道間で蒸気機関車弁慶号」による試運転行い同年11月28日には手宮 - 札幌間の22マイル25チェーン(約35.9km)が開通した先行して開業した京浜間鉄道阪神間鉄道などがイギリス様式建設されたのに対し、本鉄道アメリカ様式で建設された。建設経費節約や、アメリカ流儀からいけば、この鉄道914 mm(3 ft軌間建設されであろうが、将来敷設されるであろう他の鉄道との接続考慮した黒田方針により、本州鉄道と同じ1,067 mm(3 ft 6 in)軌間採用された。結果的にこの判断は、後に青函連絡船による車両航送や、青函トンネル利用した本州北海道間の直通運転実現功を奏すこととなる。 レール15 kg30ポンド/ヤード)の錬鉄製、枕木本数少なく道床薄かった手宮機関庫工場設けられたが、小樽駅現在の南小樽駅)や札幌駅仮駅で、途中朝里軽川琴似の各駅は、「フラグストップステーション」というアメリカ式の駅であった開業当たっては、アメリカH.K.ポーター社から蒸気機関車2両、ハーラン・アンド・ホリングスワース社から2軸ボギー客車8両が輸入された。蒸気機関車(後の鉄道院7100形)は、1、2付番されたほか「義経」、「弁慶」と命名された。いずれもアメリカ西部開拓期思わせるようなスタイル車両である。1881年明治14年8月明治天皇北海道巡幸があり、これらの車両使用して小樽 - 札幌間で北海道初のお召列車運転された。天皇御乗用としては最上級客車であった開拓使号」が使用され、「義経」が9両編成列車牽引した異説もある)。 1882年明治15年2月8日以って開拓使廃止され鉄道炭鉱工部省所管となった同年6月25日には札幌 - 江別間が仮開業し11月13日には手宮 - 幌内間が全通した。翌1883年明治16年9月17日には、手宮 - 幌内鉄道の開業式が札幌開催され皇族陸軍卿のほか、鉄道局長井上勝も列席している。この日は、市民鉄道への理解を深めるため、終日無料開放されたという。

※この「幌内鉄道の開業」の解説は、「官営幌内鉄道」の解説の一部です。
「幌内鉄道の開業」を含む「官営幌内鉄道」の記事については、「官営幌内鉄道」の概要を参照ください。

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