幌延問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:19 UTC 版)
1980年(昭和55年)ころ、町議会などの誘致を受け動力炉・核燃料開発事業団(動燃)は、高レベル放射性廃棄物中間貯蔵施設の建設を計画。いわゆる「幌延問題」として、地元や周辺市町村はもとより、全道で長きにわたり議論を呼んだ。2000年(平成12年)11月16日に北海道・幌延町及び核燃料サイクル開発機構の三者で「幌延町における深地層の研究に関する協定書」を締結し、2001年(平成13年)に幌延深地層研究センターが核抜きの地層処分研究施設として設置されたことにより、幌延問題は一応の終止符を打った。 以降、町ではこれをきっかけに、町ぐるみで町の気候、資源、既存産業を応用、活用した様々なエネルギー創出の研究、実践に取り組んでいる。2000年(平成12年)10月に風力発電関連会社を設立し、風力発電施設を設置した。また、町立施設への太陽光発電施設の設置やバイオマスエネルギーや雪氷エネルギーの活用なども行われている。 「幌延深地層研究センター#沿革」も参照
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