幌別・平取時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 15:09 UTC 版)
1926年(大正15年)7月5日、北斗は上野駅から夜行列車に乗り込み、多くの人々に見送られて東京を後にした。7月7日には幌別(登別)に到着する。最初に向かったのはバチラー八重子のいた聖公会の幌別教会であった。幌別には数日寄宿し、知里幸恵の家を訪ね、知里真志保と会った。 北斗は白老など近隣のコタンを廻った後、7月14日にはアイヌ文化の習得を目的として、平取に入っている。平取では希望社の後藤静香が支援し、ジョン・バチラーの経営する幼稚園を手伝うが、北斗がいる時に後藤が幼稚園への援助を打ち切るなどのトラブルがあり、双方をよく知る北斗は板挟みになって苦しんでいる。 土建業などの日雇い労働をしながら、日高のコタンを廻って「自働道話」誌を配り、同族と語り合い、啓蒙活動を続けた。この頃出会った人物としては、長知内でアイヌ児童の教育に尽力した奈良農夫也や、二風谷の指導者であった二谷国松などがある。 この頃、西川光次郎の妻西川文子が主宰する「子供の道話」にアイヌの昔話を投稿している。また、北海道に戻ってからは、俳句ではなく、盛んに短歌を作るようになる。
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