師匠・鈴木とのエピソード
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「佐藤光留」の記事における「師匠・鈴木とのエピソード」の解説
2004年10月12日、パンクラス後楽園ホール大会での出来事であった。この日の第4試合、U-FILEの佐々木恭介と対戦し、ドローで終了した。マイクを持った佐藤は以下のように鈴木を挑発した。 「今日はご来場ありがとうございました。僕は今日、同じこの脛当て付けて、U-STYLEからやってきてくれた佐々木選手と戦うためにここにいました。さっき本人には言いましたけど、今日は引き分けだったけど、これ、必ず続きがあるってことだから。」と言い、U-STYLE参戦を表明したが、「そして僕はもう一つ、ある人に挑戦状を叩き付けに来ました。鈴木みのる!!いいか、どこにいるかわかんないけど、よく聞いとけよ。俺はパンクラスに入って、誰よりもあなたの近くにいました。一年ちょっと前、『ライガー選手と戦って感じるものがあるから、俺は移籍して新日本プロレスに本当の戦いをしに行ってくる』って言いました。だから、僕はずっと鈴木さんについてやってきましたが、最近の鈴木さんを見ていると、あれが本当の戦いですか?鈴木さんは相変わらず強いですが今まで研いできた刀はパンクラスのリングで使うためにあるんじゃないですか?研いでない、切れない刀はただの鉄だ!何でパンクラスの若手とは戦ってくれないんですか?NKホール、第1試合、これ付けて(レガース)僕と戦ってください。以上です、ありがとうございました。」 そして佐藤はリングを降り、アリーナを出てバックステージの通路に入ろうかというその時、不敵な笑みを浮かべた鈴木が現れ佐藤に襲い掛かった。すぐにその場に居合せた近藤らが鈴木を抑え、なだめられ奥に消える鈴木だった。憮然とした表情で立ちすくんだ佐藤は、その後、反対側の控え室に向かうため、いったんアリーナに戻り「ぜってーやってやるからな!」と絶叫し観客を熱狂させた。 その後のインタビューで佐藤は、「僕は鈴木さんのやっているプロレスも戦いだと思います。僕のやっていることも戦いだと思います。プロレスや格闘技をジャンル分けする必要はありません。気持ちです。ライガー選手とやった時はずっとパンクラスで、どんな時も、どんなに背中丸めても下向いても、必ず次の日は正面向いて胸張って歩いていた鈴木さんが、最近、ライガー選手とやった時と同じ刺激に餓えてるんじゃないかと思います。たとえ、鈴木さんがそう思わなくても、長年鈴木さんの横にぴったり付いていて、誰よりも怒られて、誰よりも言葉もかけてもらっていると思う。道場長でもなければ、一番強いチャンピオンなわけでもないけど、それでも声をかけてもらってる、俺にはわかる。誰がどう言っても、俺が見た鈴木さんは、今の鈴木さんは餓えてる。もう今、伝説ですよ、鈴木さん。このままじゃほんとに生きるパンクラスの伝説。鈴木さんは伝説なんかじゃない。ずっと生きてる。それを確かめたい、感じたい、戦いたい。」と語った。 この事件により、鈴木は3か月間の10%減俸処分を受けたが、佐藤と鈴木の師弟関係はこの事件後にさらに良好なものへとなっていき、2005年5月1日、パンクラスのリングで鈴木とエキシビションマッチで対戦した。 2013年11月1日に新宿FACEで行われたTAKAみちのく&タイチ自主興行において反鈴木軍同盟Xとしてリングに上がった。反鈴木軍同盟と名乗った理由は鈴木みのるオフィシャルネットショップ・パイルドライバーの仕事が忙しいからである。
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