市川雅敏による批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 00:47 UTC 版)
欧州での活動はシマノからの出向という形で行われていた。この為、同じく元ロードレース選手で現在は解説者・評論家の市川雅敏からは「実力も足りないのにコネで渡欧してツール・ド・フランスに出たに過ぎない」として、事ある毎に攻撃されている。 一方ではプロフェッショナルとしてのスポーツ選手の活動においては、単なる競技での強さだけではなく、 所属企業・スポンサーから物心両面、さらには経済面で様々な支援を取り付けること[要出典] 関連先での人脈作り[要出典] 関係者・仲間から人間的な信頼を得る[要出典] これらを背景に、チームのまとめ役・サポート役などとしてでも、より権威のある国際的な競技大会やレースに出場したという実績を残す[要出典] この様な能力もプロ選手としての実力の内に含まれるという観点から、今中同様に元ロードレース選手とはいえツール出走という実績が無い市川 の批判は、単なる嫉妬ややっかみの域を出るものではない、あるいは、解説者・評論家として名を上げる為のパフォーマンスという見方もある。[要出典] 実際、シマノが今中をポルティへと派遣した目的の大きな一つの柱として、欧州のトップレベルのレースで自社のテストライダーを走らせて、これによって得られた情報を自社製品の性能向上へとフィードバックさせるという事があり、今中の著書によれば、デュラエースのクランクの剛性不足問題の様に、今中がレースの現場に赴いて選手のコミュニティに自身も選手として加わったことで、初めてシマノの開発セクションに問題として認識されたケースもあったとされる。また公開前のSTIシステム(手元変速装置)のテストも行っていたという。[要出典]つまりは、そもそものところで今中は単純にレースに出場する事や契約スポンサーの宣伝活動に参加する事で生活費や活動資金の全てを得る「純然たるプロレーサー」ではなく、シマノの社員エンジニアとしての活動も同時に行い続けていたわけである。だが、上述した市川 による数多い批判の中では、この様な今中の一面についてはほとんど触れられておらず、むしろテレビ放送中に「どこかの会社の派遣で行っているようじゃダメですよ」と吐き捨てるなどの、今中の立場そのものを感情的に否定するコメントばかりが残っている。 今中は渡欧中、暇を見つけてはシマノに提出する報告書を書いていた。今中の妻の回顧によると、休日も一日中報告書を書いていることが多く、それで夫婦げんかになったこともあったという。
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