嶺南・序盤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/12 18:55 UTC 版)
円通寺跡:別子銅山専用の墓所で正式には雲谷山三業院円通寺小足谷出張所という。しかし、銅山が当地を撤退して3年後の1919年(大正8年)に火災に遭い機能が失われたため白尾(現・南光院)に移された。。 醸造所跡:小足谷醸造所で1870年(明治3年)からヰゲタ政宗を最高期は年間100KL製造していた。 接待館跡:1901年(明治34年)から接待館として営業。その上に歴代採鉱課長の傭人社宅がある。 山神社跡 小学校跡:最盛期の1899年(明治32年)3月には生徒数298名教員7名であった。 劇場跡:土木課の倉庫。1889年(明治22年)建造で350坪あり、毎年5月には劇場として開放され歌舞伎が催行された。 住友病院跡:ダイアモンド水広場を過ぎ橋を渡り対岸に渡って少し下るとある。 高橋精錬所跡と沈殿工場跡:明治20年代になって洋式熔鉱炉が作られた。 ダイヤモンド水: 1951年(昭和26年)掘削。予定まであと82mで水が吹き出しジャミング事故が起きて掘削不能になりダイヤモンドを散りばめた先端部が今も孔底に残り、こう呼ばれるようになった。この場所に2015年(平成27年)バイオ・トイレが整備され休憩所となっている(凍結の恐れによりトイレは、12月1日より3月15日の冬期使用禁止)。 旧別子への道 円通寺跡 メイン道路と右に小足谷集落跡 醸造所跡の煙突 接待館跡 傭人社宅跡 山神社跡 小学校跡 劇場跡への広い石段 住友病院跡 高橋精錬所跡と沈殿工場跡 ダイヤモンド水
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