嶺南・中盤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/12 18:55 UTC 版)
東延地区:1876年(明治9年)から近代化が始まり採鉱本部が置かれ中心地であった。本山鉱床が西から東に延びる実情にちなみ、さらに東に発展することを期待して東延と命名した。 第一通洞南口:標高1146m。開削済みの代々坑(だいだいこう)をもとに1882年(明治15年)から嶺北の角石原へ向けて掘り始め、2年前日本の鉱山で初めてダイナマイトの使用実験に成功していたため、それを活用し4年の短い工期で長さ1021mの水平坑道が完成し銅山越えをすることなく南北が結ばれた。 東延の堰堤:東延谷を埋め立て約2000坪の用地を確保した。 東延斜坑:当時の坑道は大きくても1.5m×1.8mが普通だったが、この坑道は幅6m高さ2.7mあり、49度の傾斜で長さ526mある。 東延の機械場跡:1890年(明治23年)4月蒸気機関の巻き揚げ機が設置されていた。それ以前の8年間は馬を使っていた。 素麺滝:東延斜坑口の右から水音を頼りに約10分の最奥にある。 トラス橋 第一通洞南口 東延の堰堤 東延斜坑 東延の機械場跡 素麺滝
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