嶺南・上部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/12 18:55 UTC 版)
大山積神社:1691年(元禄4年)より銅山の鎮護の神として延喜の端(縁起の端)から遷座した。 蘭塔婆山:1694年(元禄7年)に焼窯から広がった大火により亡くなった132名の霊を祀る。 別子本鋪(べっしほんじき):標高1210m。1690年(元禄4年)5月9日幕府の許可を得た泉屋が翌年最初に開坑した歓喜坑と歓東坑で、東延に拠点が移るまでの約200年間ここが中心であった。 銅山越:標高1294m。今まで遠く小箱峠を越え宇摩郡天満浦まで運んでいたが、1702年(元禄15年)より184年間この峠を越え新居浜大江浜まて運ばれた。峰の地蔵はその間に峠で運搬中に亡くなった人々を祀っている。南側から峠に上がる直前にノリウツギの群生が7月から8月にかけて咲き誇る。 大和間符(やまとまぶ):元禄4年(1691)の開坑と同時に開かれた古い坑口で60cm×90cmの最も小さい水平坑道。 露頭:地表に出た銅鉱脈。大和間符のすぐ横にある。 牛車道:明治13年完成、翌年には18頭の近江牛が働いていた。 大山積神社跡 蘭塔婆山 歓喜坑(左)と歓東坑 銅山越の地蔵 大和間符 露頭 牛車道
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