崩落と救出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 09:26 UTC 版)
「ダッカ近郊ビル崩落事故」の記事における「崩落と救出」の解説
4月24日朝に、停電が発生し、最上階のディーゼル発電機が始動した。建物はバングラデシュ標準時間午前8時57分ころに崩壊し、1階だけを無傷で残した。バングラデシュ衣料品製造業者輸出業者協会(Bangladesh Garment Manufacturers and Exporters Association)会長は、崩壊時に3122人の労働者が建物内にいたことを確認した。或る地元住民は、あたかも「地震が起こった」("an earthquake had struck")かのように現場を描写した。 国連の都市型捜索救助調整グループ――国際捜索救助諮問グループ(International Search and Rescue Advisory Group)またはINSARAGとして知られる――はそのメンバーらから支援を申し出たが、バングラデシュ政府はこの申し出を拒否した。政府は、地域の地元の救助緊急サービスが十分に整っていることを示唆する声明を発表した。バングラデシュに援助を提供する前に、国連は、効果的な救援活動を開始する国の能力を評価するための協議を開催したし、彼らは彼らはその能力を欠いているという結論に達した。バングラデシュ当局者らは、「顔を救う」("face-saving")行動を取り国民の感性を保護することを望みながら、国連から申し出られた支援を受け入れることを拒否した。救出活動の大部分は、装備が不十分なボランティアらで構成されており、彼らの多くは防護服を着用せず、サンダルを履いていた。一部の埋められた労働者は、救われるのを待ちながら、高温に耐えるために自分たちの尿を飲んだ。バングラデシュ政府は、生きたまま埋められた人々より国家の誇りを優先したとして非難されただけでなく、がれきに閉じ込められた人々の多くの親戚は、救出任務を時期尚早に終わらせようとしたとして政府を批判した。 衣料品メーカーのウェブサイトの1つは、犠牲者の半数以上が女であり、建物内の保育園施設にいた多くの子供たちを示している。バングラデシュ内務大臣Muhiuddin Khan Alamgirは、消防職員、警察および軍の人員が救助活動を支援していることを確認した。ボランティアの救出者らは、布の巻き(bolts of fabric)を使用して、生存者らが建物から脱出するのを助けた。4月25日に国家的な服喪の日が開催された。 5月8日に、軍スポークスマンMir Rabbiは、がれきからより多くの遺体を回収する軍の試みは少なくとももう1週間続く、と述べた。崩落の17日後の5月10日に、Reshmaという名前の女が発見され、がれきの下でほとんど無傷で生きたまま救出された。
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