岩槻・黒谷の雨宮弥太夫家の先祖とは? わかりやすく解説

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岩槻・黒谷の雨宮弥太夫家の先祖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 05:31 UTC 版)

風魔」の記事における「岩槻・黒谷の雨宮弥太夫家の先祖」の解説

2006年刊の茂木和平埼玉苗字辞典』 および下山治久後北条氏家臣団人名辞典』 に、岩付城下・黒谷さいたま市岩槻区)の妙円寺開基は、風間出羽守嫡子雨宮主水正、とあり、茂木は、「風間」は信濃国水内郡式内社風間神社から起る在名で、本名が「雨宮」と推測し黒谷には、雨宮氏が5戸あり、風間氏は無い、と指摘している。『岩槻市史』 には、「妙円寺曹洞宗開基風間出羽守嫡子雨宮主水正開山真浄寺第三庭祖林和尚」とある。 江戸時代黒谷名主をしていた雨宮弥太夫家で安政2年1855年)から書き継がれた「万代記録帳」(杉崎賢治家文書) 中の「清和天皇七代之孫源頼義当家世代控」によると、同家始祖は、「風間出羽守嫡子雨宮主水正本国紀州清和源氏頼義18代之後 風間出羽守〕」である。雨宮主水正没年承応元年壬辰1652年)で、その子1689年没)から代々弥太夫」を名乗ったとされている。明治8年1875年)に調査が行われた『武蔵国郡村誌』の黒谷 妙円寺の項には「正保の頃、村吏雨宮利之助の祖先風間出羽守庶子雨宮主水開基創建すと云」とあり、「利之助」の名は「万代記録帳」にもみえる。 「万代記録帳」には、別に雨宮家毎年正月7月黒谷妙円寺遍照院に付け届けをしており、妙円寺については、先祖開基だった旨がみえる。『岩槻市史料 13 民俗調査報告書2』所載聞書によると、黒谷雨宮氏一党本寺岩槻太田浄源寺で、妙円寺には墓のみがあったが、遍照院に墓を移した、とされている。 黒谷地区雨宮姓には2系統あり、屋号ホンケ」「トライチドン」の雨宮家には、4代前の継嗣が幼いうちに両親死去したため、母方実家のあった越谷市西新井養われ成長してから黒谷戻り家を復活させたと伝えられていた。「万代記録帳」が伝わった杉崎家は、雨宮家継嗣の姉の嫁ぎ先で、雨宮家継嗣幼い頃両親死去したため、その後人となり継嗣成長した後に岩槻移住したため、雨宮家の跡を継いだ、とされている。 「万代記録帳」が伝わった家とは別系統屋号「ケイッカ」の雨宮家には、先祖大坂城財政仕事をしていたが、大坂落城のとき、ブシのミンブサマと一緒に落ち延びてきた、と伝えられていた。松伏町石川民部家の祖流については、河内石川氏とする説もあり、松伏町2001-2002年頃、町史編纂のため聞き取り調査実施した際にも、石川民部始祖大坂の陣の頃、関西から落ち延びてきた、との民間伝承残っていた。

※この「岩槻・黒谷の雨宮弥太夫家の先祖」の解説は、「風魔」の解説の一部です。
「岩槻・黒谷の雨宮弥太夫家の先祖」を含む「風魔」の記事については、「風魔」の概要を参照ください。

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