やまだ‐にしき【山田錦】
山田錦
山田錦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 06:27 UTC 版)
詳細は「山田錦」を参照 多可町は、酒米として知られる山田錦の発祥地を謳っている。中区岸上にある国道427号の道の駅(2015年登録)は「山田錦発祥のまち・多可」という名称である。町内では山田錦の生産も行われている。 山田錦は1923年(大正12年)に兵庫県立農事試験場(兵庫県明石市)で山田穂(やまだぼ)と短稈渡船の交配によって生まれ、1936年(昭和11年)に命名された品種である。多可町が「発祥の地」を称するのは、山田錦の母方にあたる山田穂を発見したのが中区東安田の豪農・山田勢三郎とする説があることによる(ただし山田穂の発祥には諸説がある)。この説によれば、山田勢三郎が1877年ごろ、自作田で見つけた大きな穂を近隣地にも奨励し、俵に「山田穂」の焼き印を押して出荷したという。「山田穂」は大正期には兵庫県において酒米として広く栽培された品種であった。 1993年より毎年10月1日(日本酒の日)には「加藤登紀子日本酒の日コンサート」が開催されていた。「山田錦」を中心とした町おこしを図っていた合併前の中町が、「ほろ酔いコンサート」を開いていた加藤を招き、1992年にツアーの一環として実現したのが始まりで、毎年恒例の行事となった。加藤のコンサートは30年を区切りとして2021年に幕を下ろした。 2006年には地方自治体として初めて「日本酒で乾杯の町」を宣言した。2019年、多可町は加藤登紀子を「山田錦PR大使」に任命した。
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山田錦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 23:15 UTC 版)
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山田錦(やまだにしき)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 23:15 UTC 版)
1923年、都道府県による開発。同県立農事試験場にて山田穂/短稈渡船を交配、1931年(昭和6年)に品種確定し「山渡50-7」との系統名がつけられ、1936年(昭和11年)に「山田錦」と命名され兵庫県奨励品種に採用された。時節柄、直後にはそれほど生産高は伸びなかった(参照:「日本酒の歴史-昭和時代」)が、戦後になって著しく全国へ普及し「酒米の王者」と称せられるまでになる。稈質はやや太い。耐病性はいもち病や縞葉枯病に弱い。中山間地帯の粘土質が栽培に適するとされる。
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山田 錦(やまだ にしき)
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「しょうこセンセイ!」の記事における「山田 錦(やまだ にしき)」の解説
25歳。担当教科は体育。生活指導部。男勝りでサバサバした性格。「さくら」という名前のスコティッシュフォールドを飼っている。
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