山田銀蔵とは? わかりやすく解説

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山田銀蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/14 13:56 UTC 版)

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山田 銀蔵(やまだ ぎんぞう、1915年7月8日 - 1978年12月25日[1])は、日本のクロスカントリースキー選手。青森県南津軽郡大鰐町出身。1936年ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピック日本代表

来歴

大鰐尋常高等小学校高等科を卒業後、青森営林局(青森林友)に勤務する[2]

1934年の第12回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー個人長距離(18km)で優勝。翌年の同大会32kmリレーでは、山田伸三らとともに青森林友を優勝に導いた。

1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックでは、クロスカントリースキー個人長距離(18km)で56位、4x10kmリレーで12位だった。

現役引退後は、地元青森で後進の育成に尽くした[1]。 1978年死去、享年63歳[1]

出典

  1. ^ a b c 『朝日新聞』1978年12月26日東京朝刊19頁「訃報」
  2. ^ 『朝日新聞』1935年2月13日 東京朝刊3頁「スキー代表8選手の横顔」

参考文献

  • 小川勝次「日本スキー発達史」朋文堂、1956年
  • 菅原悦子「歴史ポケットスポーツ新聞冬季オリンピック」大空出版、2009年

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