山田伸三とは? わかりやすく解説

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山田伸三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/18 20:35 UTC 版)

山田 伸三(やまだ しんぞう、1914年1月17日 - 2000年3月20日[1])は、日本のスキー選手・指導者。1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックノルディック複合クロスカントリースキーで出場。青森県出身。

来歴

青森県南津軽郡大鰐町出身[2]。旧制弘前中学校を卒業[2]。中学在学中の1928年、樺太の豊原で行われた大会に出場して複合で6位、距離で8位の成績を残し、将来を嘱望される[3]

中学卒業後は、青森営林局(青森林友)に入る[2]

1934年の第12回全日本スキー選手権大会ノルディック複合個人、翌年の同大会クロスカントリースキー個人長距離(17km)で優勝。

1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックでは、クロスカントリースキー個人長距離(18km)で49位、4x10kmリレーで12位、ノルディック複合個人で43位だった。

引退後は青森県スキー連盟の理事長・会長を歴任した[1][2]

脚注

参考文献

  • 小川勝次「日本スキー発達史」朋文堂、1956年
  • 菅原悦子「歴史ポケットスポーツ新聞冬季オリンピック」大空出版、2009年
  • 一戸哲雄「人物を中心とした体育・スポーツ郷土史 連載第11回 青森県」『文部時報』第1202号、1977年7月。 

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