山田伸三
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山田 伸三(やまだ しんぞう、1914年1月17日 - 2000年3月20日[1])は、日本のスキー選手・指導者。1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックにノルディック複合、クロスカントリースキーで出場。青森県出身。
来歴
青森県南津軽郡大鰐町出身[2]。旧制弘前中学校を卒業[2]。中学在学中の1928年、樺太の豊原で行われた大会に出場して複合で6位、距離で8位の成績を残し、将来を嘱望される[3]。
中学卒業後は、青森営林局(青森林友)に入る[2]。
1934年の第12回全日本スキー選手権大会ノルディック複合個人、翌年の同大会クロスカントリースキー個人長距離(17km)で優勝。
1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックでは、クロスカントリースキー個人長距離(18km)で49位、4x10kmリレーで12位、ノルディック複合個人で43位だった。
引退後は青森県スキー連盟の理事長・会長を歴任した[1][2]。
脚注
参考文献
- 小川勝次「日本スキー発達史」朋文堂、1956年
- 菅原悦子「歴史ポケットスポーツ新聞冬季オリンピック」大空出版、2009年
- 一戸哲雄「人物を中心とした体育・スポーツ郷土史 連載第11回 青森県」『文部時報』第1202号、1977年7月。
- 人物を中心とした体育・スポーツ郷土史(文化庁ウェブサイト、連載を合綴)
外部リンク
- 山田伸三 - Olympedia
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