山梨県の埋蔵銭貨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:44 UTC 版)
甲斐国では戦国期に黒川金山や湯之奥金山などの甲斐金山が稼業し、武田氏をはじめとする大名権力により掌握されていたと考えられている。武田領国内には領国通貨として甲州金が流通し、甲斐本国の勝沼氏館跡などからは金熔融物付着土器も出土しており、領国内で鋳造された金貨が流通していたと考えられている。山梨県内では金貨をはじめ土器に納められたさし銭など埋蔵銭貨の出土事例があり、これらは秘匿のため一時的に埋蔵されたもの、あるいは地鎮など儀礼的な意味で埋納されたものであると考えられている。 金貨の出土は武家居館に近接地点から出土する傾向にあり、笛吹市春日居町下岩下の下岩下出土甲州金や、甲州市勝沼町上岩崎出土の上岩崎出土大量一括埋蔵銭などの存在が知られる。下岩下出土甲州金は『甲斐国志』に拠る武田信虎誕生屋敷や武田家臣原田氏屋敷跡に近接する地点から大判3点が出土している。 上岩崎出土大量一括埋蔵銭は1971年(昭和46年)に山梨県勝沼町(現甲州市)上岩崎のぶどう園(勝沼氏館跡近く)で発見。一帯は鎌倉街道沿いに位置し戦国期の勝沼氏館跡をはじめとする戦国期の城館跡が数多く分布する地域で、出土地点付近は勝沼氏館跡を中心とする町割が形成されている。出土地点は中世の真言宗寺院・金剛寺の旧地に比定されている福寺遺跡に含まれる。 出土した埋蔵銭貨は楕円形の蛭藻金2点と碁石金18点、さらに中国の渡来銅銭約5千点あまり。蛭藻金には表面に槌目が施され、碁石金は4匁前後の一両貨幣で、やや変形しているものの表面には光沢が残され、背面には灰吹法によるものと考えられている気泡状小孔が見られる。これらの金貨は戦国期の甲州金であるとされており、15世紀後半代の埋納であると考えられている。渡来銭は一部が散逸している。出土銭貨は個人所蔵であったが、2011年(平成23年)に甲州金・埋蔵銭貨2953点が山梨県立博物館に収蔵された。 また、金貨以外では北杜市長坂町の小和田館跡から出土した古瀬戸灰釉四耳壺に収められたさし銭の出土事例などが知られる。 江戸時代には甲斐国内で甲州金と呼ばれる独自の金貨が流通しており、山梨県内では甲府城跡から慶長一分判金1点が、鰍沢河岸(富士川町)から甲州金壱分金(甲定金)2点、元禄一分判金1点が出土している。これらはいずれも石垣など建物の基礎部分から出土しており、祭祀目的の埋納であると考えられている。
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