山梨県の木喰仏
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山梨県には2015年時点で25体が現存し、うち移入像が1体、移出像が64体で計89体が確認される。分布は南巨摩郡身延町の四国堂や山神社、マツコ堂、金龍寺、静仙院薬師堂、個人蔵などの像があるほか、韮崎市の個人蔵、笛吹市御坂町の山梨県立博物館所蔵の像がある。 韮崎市の像は地蔵菩薩、観音菩薩像の二体。ともに韮崎市指定文化財。地蔵菩薩像は像高36.5センチメートルで、天明6年(1786年)3月11日の背銘を持つ。通常は釈迦如来か大日如来の印相である法界定印の地蔵菩薩。木喰は天明3年(1765年)に佐渡島において同様の形式を取っており、本像が法界定印の地蔵菩薩としては最後の像となり、以後は両手を衣の下に入れる像容に変化する。観音菩薩像は像高43.5センチメートルで、天明6年3月14日の背銘を持つ。蓮座・敷茄子・返花の三重台座に座した観音菩薩で、胸前の衣の下で両手を合掌する。背銘に「稱観世音菩薩」と記され、「稱」は「聖」の当て字。韮崎市旧在の東京都個人所蔵の像には同様の墨書が記されている。『御宿帳』に拠れば、木喰は前年の天明5年9月12日に丸畑に帰郷し、2週間あまり滞在している。 身延町の像は金龍寺所蔵の日蓮上人像がある。像高30.8センチメートル。身延町指定文化財。寛政12年(1800年)10月12日の年記を持つ。『御宿帳』に拠れば、木喰は同年10月25日に故郷丸畑に帰郷している。 山梨県立博物館には弘法大師像、千手観音菩薩像(個人像・2008年寄託)、不動明王像の3体が所蔵されている。弘法大師像は像高54.5センチメートル。金丸康信寄贈。四国堂諸像のひとつで、1924年1月9日に柳宗悦が小宮山清三宅で実見した3像のうちの1体。千手観音菩薩像は像高72.5センチメートル。寛政13年(1801年)の年記があり、四国堂諸像のひとつ。不動明王像は像高29.2センチメートル。2008年に収蔵。背銘に天明9年(1789年)3月28日の年記があり、木喰が九州・宮崎において初期に彫った像。後年の木喰の不動明王には火炎光背がつけられるが、本像には見られない。
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