山梨県の木喰仏とは? わかりやすく解説

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山梨県の木喰仏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 14:03 UTC 版)

木喰」の記事における「山梨県の木喰仏」の解説

山梨県には2015年時点25体が現存し、うち移入像が1体移出像が64体で計89体が確認される分布南巨摩郡身延町四国堂や山神社マツコ堂、金龍寺静仙院薬師堂個人などの像があるほか、韮崎市個人笛吹市御坂町山梨県立博物館所蔵の像がある。 韮崎市の像は地蔵菩薩観音菩薩像の二体。ともに韮崎市指定文化財地蔵菩薩像像高36.5センチメートルで、天明6年1786年3月11日の背銘を持つ。通常釈迦如来大日如来印相である法界定印地蔵菩薩木喰天明3年1765年)に佐渡島において同様の形式取っており、本像が法界定印地蔵菩薩としては最後の像となり、以後両手を衣の下に入れ像容変化する観音菩薩像像高43.5センチメートルで、天明6年3月14日の背銘を持つ。蓮座・敷茄子返花三重台座座した観音菩薩で、胸前の衣の下で両手合掌する。背銘に「稱観世音菩薩」と記され、「稱」は「聖」当て字韮崎市旧在の東京都個人所蔵の像には同様の墨書記されている。『御宿帳』に拠れば木喰前年天明5年9月12日丸畑帰郷し2週間あまり滞在している。 身延町の像は金龍寺所蔵日蓮上人像がある。像高30.8センチメートル身延町指定文化財寛政12年1800年10月12日年記を持つ。『御宿帳』に拠れば木喰同年10月25日故郷丸畑帰郷している。 山梨県立博物館には弘法大師像、千手観音菩薩像(個人像・2008年寄託)、不動明王像の3体が所蔵されている。弘法大師像は像高54.5センチメートル金丸康信寄贈四国堂諸像のひとつで、1924年1月9日柳宗悦小宮山清三宅で実見した3像のうちの1体千手観音菩薩像は像高72.5センチメートル寛政13年1801年)の年記があり、四国堂諸像のひとつ。不動明王像像高29.2センチメートル2008年収蔵。背銘に天明9年1789年3月28日年記があり、木喰九州宮崎において初期彫った像。後年木喰不動明王には火炎光背つけられるが、本像には見られない

※この「山梨県の木喰仏」の解説は、「木喰」の解説の一部です。
「山梨県の木喰仏」を含む「木喰」の記事については、「木喰」の概要を参照ください。

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